この項目では、岡山県にあった自治体について説明しています。同町内(現・瀬戸内市内)の地区については「牛窓」をご覧ください。
うしまどちょう
牛窓町
牛窓ヨットハーバー
廃止日2004年11月1日
廃止理由新設合併
牛窓町、長船町、邑久町 → 瀬戸内市
現在の自治体瀬戸内市
廃止時点のデータ
国 日本
地方中国地方(山陽地方)
都道府県岡山県
郡邑久郡
市町村コード33361-1
面積27.50 km2
総人口7,545人
(2003年)
隣接自治体岡山市、邑久町
他のシンボル牛窓オリーブ園
牛窓町役場
所在地〒701-4392
岡山県邑久郡牛窓町牛窓4911
牛窓町(うしまどちょう)は、かつて岡山県の南東部、邑久郡に存在した町である。2004年11月1日、同郡の邑久町・長船町と合併して瀬戸内市となり、町役場は瀬戸内市役所牛窓支所となっている。 西は岡山市、北は邑久町、東と南は瀬戸内海に面している。特に観光業に力をいれており、「日本のエーゲ海」と称している。県有数のマッシュルームの生産地であり、香川県の小豆島とならび、日本二大オリーブ産地の一つでもある。 神功皇后が三韓征伐の道中、この地で塵輪鬼(じんりんき=頭が八つの大牛怪物)に襲われたが弓で射殺。皇后が新羅からの帰途、成仏出来なかった塵輪鬼が牛鬼になって再度来襲、住吉明神が牛鬼の角をつかんで投げ倒した。この場所を牛転(うしまろび)といい、訛って牛窓になったという。牛窓界隈には、伝説にまつわる浮かぶ島や神社等がある。 牛窓には、前島・黄島・黒島・青島などの島々が瀬戸内海に浮かんでいる。定かではないが、この牛鬼が滅びた後にこれらの島々に化けたとの言い伝え(伝説)がある。頭は黄島、胴体の前は前島、胴体の後ろは青島、お尻の部分は黒島に化けたと地元では伝えられている。 古くから海上交通での風待港 主な産業は、農業、漁業、観光業。特にマッシュルーム、オリーブ、カキの生産が盛んである。 2004年の高校総体、市制施行後の2005年に行われた晴れの国おかやま国体では、セーリング競技の開催地となった。 町内に大学、高等学校はない。 上記各校とも現在は瀬戸内市立となっている。 町内を走る鉄道、高速道路、一般国道はない。 才賀藤吉が1912年(大正元年)8月に事業許可を得て1913年(大正2年)6月に牛窓電気を設立[2]。牛窓町に発電所(瓦斯力、出力32kW)を建設、1914年(大正3年)12月に事業開始。供給区域は邑久郡牛窓町、鹿忍村、長浜村、玉津村[3]。1922年(大正11年)3月に山陰中央水電に合併される。[4][5]
概要
町名の由来
行政
歴代町長
萬燈実太(昭和29年10月 - 昭和32年11月)
高祖鶴雄(昭和32年12月 - 昭和40年12月)
高原道夫(昭和40年12月 - 昭和52年12月)
新地 勇(昭和52年12月 - 平成元年12月)
田中義之(平成元年12月 - 平成9年12月)
東原和郎(平成9年12月 - 平成16年10月) → 合併により瀬戸内市副市長へ
歴史
1889年(明治22年)6月1日 - 町村制施行により邑久郡牛窓村・鹿忍村・長浜村・大宮村が発足。
1896年(明治29年)2月26日 - 牛窓村が町制施行して牛窓町となる。
1948年(昭和28年)1月28日 - 沖合で女王丸が触雷により沈没。多数の避難者が町にたどりつく[1]。
1954年(昭和29年)10月1日 - 邑久郡牛窓町・鹿忍町・長浜村が合併し、(新)牛窓町が発足。
1955年(昭和30年)3月31日 - 大宮村の一部を牛窓町に編入。
2004年(平成16年)11月1日 - 邑久町・長船町と合併し、瀬戸内市誕生により消滅。「瀬戸内市牛窓町」となる。
警察
岡山県警瀬戸内警察署
産業
スポーツ
姉妹都市
北海道雨竜郡幌加内町
ギリシャ・ミティリーニ市(レスボス島)
教育
小学校
牛窓町立牛窓東小学校
牛窓町立牛窓西小学校
牛窓町立牛窓北小学校
中学校
牛窓町立牛窓中学校
交通
東備バス牛窓線(西大寺⇔牛窓)
岡山県道28号岡山牛窓線
岡山県道39号備前牛窓線
岡山県道225号虫明長浜線
岡山県道226号牛窓邑久西大寺線
岡山県道230号上山田鹿忍線
岡山県道232号鹿忍片岡神崎線
岡山県道235号橋詰千手線
電気
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事本蓮寺黒島ヴィーナスロード
牛窓オリーブ園
海遊文化館
本蓮寺
牛窓神社
牛窓海水浴場
西脇海水浴場
牛窓ヨットハーバー
黒島ヴィーナスロード[6]
脚注[脚注の使い方]^ 「死者行方不明者百四十余名 女王丸触雷沈没」『朝日新聞』昭和23年1月29日2面
^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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