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出典検索?: "牛田" 広島市 ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年4月)
牛田
町丁
牛田新町の不動院金堂。市内唯一の国宝である。
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度24分42.6秒 東経132度28分12.69秒 / 北緯34.411833度 東経132.4701917度 / 34.411833; 132.4701917
国 日本
都道府県 広島県
市町村 広島市
区東区
人口2019年(令和元年)5月末現在
? 合計29,768人
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号732-0061・732-0062・732-0063・
732-0064・732-0065・732-0066・
732-0067・732-0068
市外局番082
ナンバープレート広島
※座標は牛田旭一丁目15番交差点付近
牛田(うした)は、広島市東区に位置する地区である。ここでは「牛田」を町名に冠する同区内の地区の総称として用いる。広島市中心部への近接性に恵まれ、住宅地としての性格が強い。当地域の人口は29,708人[1]。 地名の由来は、古来この地が公卿大人の所領地で「大人田」(うした)と呼ばれたことにちなむとの説(芸藩通志)、斥鹵(せきろ / アルカリ土壌の荒れ地)が開拓されたことから「潮田」(うしおだ)と呼ばれたとの説、あるいは牛牧の地などの説がある。
地理
広島県を流れる太田川が下流域で太田川放水路・旧太田川(本川、ほんかわ)・京橋川に分岐する地点から河口部近くに位置している。地形的には牛田山頂から西に延びる丘陵(新山(にいやま)など)によって大まかに二分され、北が牛田新町の3・4丁目地区(かつての「新山村」)、南は上記の丘陵と二葉山に挟まれる谷間から京橋川沿岸へと下っていく低地部で、かつての牛田村の中心地である。
住居表示と各町の地誌「牛田村」および「牛田本町」も参照
牛田新町(うしたしんまち) - 町の北部(3・4丁目)は明治になって牛田村に編入された「新山村」にほぼ相当する(バス停の名前として残っている「天水」(あまず)は新山村以来の地名で、清水がわき出していたことに由来する)。南半分(1・2丁目)は、敗戦以前は水道施設(現在の牛田浄水場)および軍施設(工兵第5連隊作業場 / 現在の国家公務員アパート付近)が大半を占めており、白島地区とを結ぶ「工兵橋」はその時期の名残である。町名には「新たに編入された町」という意味が込められていると思われる。牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。
牛田山(うしたやま) - 戸坂地区・中山地区と牛田地区を隔てる牛田山の南麓地域であり、大半は緑地である。
牛田旭(うしたあさひ) - 牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名「牛田旭」に由来する。牛田旭二丁目、早稲田神社西側の牛田山斜面は字を「御茶屋地」と呼ばれた。
牛田早稲田(うしたわせだ) - 町名は、町内に所在するかつての牛田村鎮守社「早稲田八幡神社」に由来する。また牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。牛田早稲田3丁目・4丁目は「早稲田団地」と呼ばれ公務員官舎が数多く建設されたが、2014年(平成26年頃)から再開発が進んでいる。
牛田本町(うしたほんまち) - 町名は京橋川に面する牛田地区の中心地(旧牛田村の役場所在地)であることに由来するものと思われる。また「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。
牛田東(うしたひがし) - 昭和初期に「御代の台住宅地」と謳われた桜が丘(2丁目)をはじめ、東園団地(3丁目)、松風園団地(4丁目)などの造成団地がある。
牛田中(うしたなか)
牛田南(うしたみなみ)- 牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つ「牛田南町」に由来する。
隣接している地区
北側…牛田山を隔てて戸坂(へさか)
南側…二葉山を隔てて山根町・光が丘、二葉の里
西側…太田川を挟んで西区大芝・安佐南区祇園、また京橋川を挟んで中区白島
東側…牛田山を隔てて中山
地名
歴史「牛田村」も参照
中世
1503年(文亀3年) - 武田元繁が牛田新山に神田八幡宮を、8年後に早稲田八幡宮を勧進。
1541年(天文10年) - 毛利隆元、佐東郡大牛田・小牛田を大内氏から預けられる。
1595年(文禄4年) - 毛利輝元、己斐・牛田など広島周辺の諸村を公領として代官を設置。
近世
1663年(寛文3年) - 新山に「日新館」が開荘。
1664年(寛文4年) - 神田橋が架かる。
安芸郡牛田村から広島市牛田へ
1878年(明治11年) - 郡区町村編制法による安芸郡牛田村、安芸郡新山村が新発足。
1882年(明治15年) - 隣村の新山村を吸収合併。
1887年(明治20年) - 現在の牛田旭二丁目に呉警察署海田市牛田分署を設置。
1889年(明治22年) - 町村制発足にともない、現在の牛田地区にほぼ相当する領域に安芸郡牛田村が発足。
1898年(明治38年) - 牛田水源地造成。
1926年(大正15年) - 神田橋が鉄筋コンクリート橋に架け換えられる。同年9月12日、牛田山の土石流が発生。
1929年(昭和4年) - 全国的な町村合併の動きを受け、牛田村を含む広島市周辺の7町村は広島市に編入合併した。これにより旧牛田村域はそのまま「広島市牛田町」に変更されたが、同町はきわめて広範囲であるため平地部を中心に牛田南区・早稲田区・牛田旭区・丹土区・神田区・牛田本町・牛田新町など下位の小地名(正式の町名ではない)に慣行的に分けられていた。
戦後から現在まで