牛次郎
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牛 次郎
ぎゅう じろう
ペンネーム牛 次郎
三枝 四郎
牛込 覚心
渡辺 寿光
高田 竜史
誕生牛込 記
(1940-05-19) 1940年5月19日(84歳)
東京府東京市浅草区
職業漫画原作者
小説家
僧侶
国籍 日本
最終学歴東京都立上野高等学校中退
代表作包丁人味平
釘師サブやん
スーパーくいしん坊
デビュー作パチンコ入門
活動期間1970年 -
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牛 次郎(ぎゅう じろう、1940年昭和15年〉5月19日 - )は、日本漫画原作者僧侶小説家作曲家建築家東京市浅草区出身。

長女は住職の牛込覚演[1]、息子はアニメーター・イラストレーターの志条ユキマサ。
来歴・人物
生い立ち

東京市浅草区(現在の東京都台東区)生まれ。本名、牛込 記(うしごめ き)。

日本海軍の特務機関に勤める父と霊媒師の母の間に生まれ、父は「渡辺」の姓を名乗っていたものの自身を含む家族は職務上母の旧姓の牛込を名乗り[2][3]、東京大空襲を生き延び終戦後は通学のかたわら新聞配達や鉄工所に勤務し生計を立てる[4]。中学卒業後は東京都立上野高等学校に入学するも学費が払えず中退し学徒援護会の紹介で工事作業員[5]、喫茶店員を務める[6]。やがて不良となり暴力団と行動をともにしつつその後熱海に滞在するようになり[7]売春街のバーテンダー[8]、レストランのコックを経て[9]、ベーシストに転向し[10]、東京に戻りアルゼンチンタンゴバンドのメンバーとして活動する中で株式会社西陣からオファーを受け入社[11]、この頃熱海時代にレストランで常連客として知り合った美容師の女性と結婚[9][12]。同社の宇宙楽団に参加しバンドマンとして電子楽器を駆使し、葬祭用音楽を作曲、録音。3年後に退社し[12]、妻の営む美容室に併設してレストランを開業し半年間営業した[13]
執筆活動

レストラン売却後、西陣での勤務経験を生かしてパチンコ台の攻略法を記した持ち込み原稿をパチンコ情報のない夕刊フジに売り込み同紙にパチンコに関する連載記事などを執筆[13]。ペンネーム「牛次郎」は牛込の「牛」に売春街での勤務経験をヒントに吉原の男衆を指す「牛太郎」をもとに次男だったことから「太郎」を「次郎」にもじったものとした[8]。フリーライターとして週刊現代プレイボーイにも関わる一方、パチンコを題材とした小説原稿「釘師」をベースとした「釘師サブやん」(作画:ビッグ錠)で劇画原作者としてデビュー[14]。その後もビッグ錠とのコラボレーションを続け『包丁人味平』『スーパーくいしん坊』で一世を風靡。一方で息子の小児喘息の療養のため再度熱海に自宅を構えつつ赤坂にマンション2室を借りて都内での仕事を続け、「包丁人味平」終了後は一時少年漫画から身を引き青年週刊誌への原作提供を続けつつテレビドラマ『消しゴムお亜季』『セーラー服通り』『流れ板七人』などに原作・原案として参加した[15]1980年代には神矢みのるの作画による『プラレス3四郎』が人気を呼んだ。この他、横山まさみちやる気まんまん』や、少女漫画の赤石路代『燃えてMIKO』などの漫画に原作を提供。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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