牛久シャトー
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牛久シャトー
Ushiku Chateau
本館(旧事務室)、2010年撮影
地図

店舗概要
所在地〒300-1234
茨城県牛久市中央3-20-1
座標北緯35度58分42.5秒 東経140度8分49.6秒 / 北緯35.978472度 東経140.147111度 / 35.978472; 140.147111座標: 北緯35度58分42.5秒 東経140度8分49.6秒 / 北緯35.978472度 東経140.147111度 / 35.978472; 140.147111
施設所有者オエノンホールディングス株式会社
設計者岡田時太郎
駐車台数280+大型バス40台[1]
最寄駅牛久駅
最寄ICつくば牛久IC
外部リンク ⇒http://www.oenon.jp/ushiku-chateau/
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牛久シャトー(うしくしゃとー)は、オエノンホールディングス株式会社が所有している茨城県牛久市ワイン醸造場[2]である。1903年神谷伝兵衛が「牛久醸造場」の名で創業した[2]。フランス種のブドウとボルドーの高級ワイン製造法を取り入れた日本初の本格的なワイン醸造場であり[3]、2008年6月に旧事務室、旧醗酵室、旧貯蔵庫の3棟が国の重要文化財に指定されている[4]。産経ニュースによると、年間の来場者は約40万人である[4]。旧称は「シャトーカミヤ」だが、公式Twitterで2017年9月1日に「牛久シャトー」へ改名すると発表した[5][注釈 1]
目次

1 沿革

1.1 背景

1.2 創業までの経緯

1.3 明治・大正時代

1.4 昭和・平成時代


2 施設

3 牛久ワイナリー・ブルワリー

3.1 受賞歴


4 アクセス

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 参考文献

7 外部リンク

沿革
背景「日本のワイン#近代」も参照

明治政府は日本酒の消費量削減による米不足の緩和、輸出産業の創出のためにワイン製造を奨励していた[3]。官営事業として1876年に現在の北海道で開拓使葡萄酒醸造所が、1880年に現在の兵庫県で播州葡萄園が開設されたものの、どちらも1880年代に民間に払い下げられた[3]。一方、現在の山梨県では明治初期からワインの製造に取り組んでおり、1877年に県立葡萄酒醸造所が完成、大日本山梨葡萄酒会社が設立されるなど早くからワインの製造に成功していた[3][6]。山梨県の官営事業は明治中期に終わりを迎えたものの、それ以降も近代的なワイン製造を目指す取り組みが民間で継続しており、日本を代表するワイン産地としての基礎が築かれることになった[3]。その一方で、明治中期以降には山梨県以外でも民間でワイン製造の取り組みが進んでいたが、その代表例が1903年に開設された「牛久醸造場」だった[3]
創業までの経緯「神谷伝兵衛」も参照

牛久シャトーの創業者、神谷伝兵衛[注釈 2]は1856年に三河国(現在の愛知県)で生まれた[7]。1873年、彼は横浜の外国人居留地でフランス人が経営するフレッレ商会で労働者として働き始め、ここでワインを知ることになった[7][8]。1880年、独立した伝兵衛は東京都浅草で濁り酒の一杯売屋「みかはや銘酒店」を開業した[7][8]。これは日本初の洋酒バー「神谷バー」の前身であった[8]。当時の日本ではワインが一般には普及していなかったが、伝兵衛は1881年から輸入ワインに蜂蜜などを添加した甘味葡萄酒の販売を始め、1886年に「蜂印香竄葡萄酒」として商標登録したこの再生葡萄酒は人気商品となった[7][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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