片腕_(小説)
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片腕
One Arm
作者
川端康成
日本
言語日本語
ジャンル短編小説
発表形態雑誌掲載
初出『新潮1963年8月号-11月号、1964年 1月号
刊行新潮社 1965年 10月5日
装幀:東山魁夷
ウィキポータル 文学
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『片腕』(かたうで)は、川端康成短編小説。ある男が、ひとりの若い娘からその片腕を一晩借りうけて、自分のアパートに持ち帰り一夜を過ごす物語。官能的願望世界を、シュール・レアリズムの夢想で美しく抒情的に描いた作品で、後期の川端の珠玉の短編として知られている[1][2][3][4]目次

1 発表経過

2 あらすじ

3 登場人物

4 作品背景

5 作品評価・研究

6 おもな刊行本

6.1 全集収録


7 テレビドラマ化

8 脚注

8.1 注釈

8.2 出典


9 参考文献

10 関連項目

発表経過

1963年(昭和38年)、雑誌『新潮』8月号から(12月号は欠載)、翌年1964年(昭和39年)1月号にかけて5回にわたり連載された[5][6]。単行本は1965年(昭和40年)10月に新潮社より刊行された[5][6]。なお、単行本刊行に際して、初出に書かれてあった〈三十三歳の私〉という文言が削除された[5]

翻訳版はエドワード・サイデンステッカー訳(英題:One Arm)をはじめ、オランダ(蘭題:De arm)、韓国(韓題:???)、イタリア(伊題:Il braccio)、ドイツ(独題:Ein Arm)、スペイン(西題:Une brazo)など世界各国で行われている[7]
あらすじ

「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」と娘は、右腕を肩からはずし、「私」の膝に置いた。その若い娘の袖なしの服の肩や腕を「私」がきれいだと思っているのに気づき、娘は片腕を貸してくれたのだった。雨もようのの夜、「私」は大事に外套の中に娘の腕を抱きアパートに帰った。

「私」は、娘の片腕をベッドの上に置いてくつろぎ、娘の腕と会話し戯れながら、以前関係した女たちのことを思い出したりした。ベッドに入り、「私」はゆかたをひらいた胸に娘の腕を添寝させた。娘の手首のと「私」の心臓の鼓動が一致してきて、片腕は安らかに眠った。

「私」は枕元の明りをつけ、娘の腕をしみじみ眺め、「これはもうもらっておこう」と無意識につぶやき、うっとりしたまま自分の右腕を肩からはずして、娘の腕とつけかえた。だが娘の腕が自分の感覚として感じられず、「遮断と拒絶」があった。「私」が娘の腕に、「血が通うの?」と訊くと、「“女よ、誰をさがしているのか”というの、ごぞんじ?」と娘は聖書の言葉を言った。娘は夜中に目が醒めるとこの言葉をよくささやくのだという。

娘の直角に曲げた小指と薬指の一辺でできた四角の窓から、「私」は「たまゆらの幻」を見た。娘は、「私」の過ぎた日のあこがれやかなしみの幻を消しにきたと言った。やがて娘の腕の感覚が自分の知覚になってきて「遮断と拒絶」がなくなった。自分のような汚濁の男の血が娘の腕に入っては、元の娘の肩にもどる時に支障がないか「私」は心配になったが、いつのまにか、そのままうっとりと深い眠りに堕ちた。

突然、横腹に触る「不気味なもの」に驚いた「私」は、「ああっ」と叫んで飛び起き、ベッドに落ちている「私」の右腕を見て戦慄する。次の瞬間、「私」は「魔の発作の殺人」のように、娘の腕を自分の肩からもぎ取り、「私」の右腕とつけかえていた。

動悸がしずまるにつれ、「私」は「自分のなかよりも深いところ」から悲しみが噴き上がるのを感じた。投げ捨てられた娘の片腕は、手のひらを上向けて指先も動いていなかった。動転した「私」は娘の片腕を拾い、「生命の冷えてゆくいたいけな愛児」のように抱きしめ、娘の指を唇にくわえた。その爪と指先のあいだから、「女の露が出るなら……」と思いながら。
登場人物

中年あるいは初老らしき孤独な男。
エレベーターのあるアパートメントの3階の部屋に1人住まい。テーブルの花瓶に泰山木の花を飾っている。今まで、年上の男馴れした女や、自分に身をまかせる前に唐突に聖書の言葉(ラザロの死を悲しむイエスの場面)を言う異常な娘などと付き合ったことがある。

若い娘。まだ純潔さを失ってない清純で優雅な円みのある肩から腕の流れをもつ娘。乳房にかかるほどの長い黒髪。自分の右腕を「私」に一晩貸す。右腕と別れるとき少し涙ぐむ。母親の形見の指輪をしている。
車の女
朱色の服の若い女。「私」が娘の片腕を懐に入れ、アパートへ帰る途中の道路で見かけた車の中の女。車のライトは薄。「私」の方を向いて会釈する。
作品背景

川端は常用していた睡眠薬の服用が高じ、それを一旦やめた1962年(昭和37年)2月には、禁断症状で入院していた[8]。こういった薬の影響により「前衛的ともみられる筆法」が導入され、『眠れる美女』(1961年)に引き続き、『片腕』にも魔界がより具現化していることが看取されている[9][10]

『片腕』が発表されていた時期には、掌編小説の『不死』(1963年)、『地』(1963年)、『白馬』(1963年)、『雪』(1964年)など、やはり幻想的な作品が多い[10][11]

この作品で描かれる片腕は〈右腕〉であるが、川端は持病として幼時の眼底結核により右目が悪く、右半身がしびれる不調をかかえていた[12][13][4]。そのこととの関連で、何故〈右腕〉だったのかが指摘されることもある[4]

また、〈手〉は『合掌』(1926年)、『しぐれ』(1954年)にも表れ、それを川端が浄化・救済への祈りのイメージと見ていることが看取される[4]。『しぐれ』では、デューラーの『祈る手』だとされ、川端は執筆する机上に常にロダンの『女の手』の彫刻を置く習慣があったという[14][4]
作品評価・研究

川端の名作として知られる『片腕』だが、発表された当初は珍奇な作品として文壇的にはあまり評価は高くなかった[5]。しかしその後、進藤純孝三島由紀夫などが本格的な論を展開し始め[15][1]、評論が活発化するようになり、処女との性交描写のメタファー聖書との関連など象徴解明以外にも、『眠れる美女』との比較の側面から、作家論の視野での論究もなされるようになった[5][4]

武田勝彦は、中村光夫三好行雄が『片腕』を「老人文学」としたことに対して[16]、異議を唱える形で初出の〈三十三歳の私〉という部分に触れつつ、聖書との関連で論じている[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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