かたぎり りゅうじ
片桐 竜次
本名羽多野 貢二[1](はたの こうじ)
生年月日 (1947-08-14) 1947年8月14日(76歳)
出生地 日本・山口県下関市
民族日本人
身長174 cm
血液型O型
職業俳優
ジャンル映画、テレビドラマ、舞台
活動期間1970年 -
配偶者あり
事務所カメリア
主な作品
映画
『仁義なき戦い』
『新仁義なき戦い』
『狂った野獣』
『処刑遊戯』
『相棒』
『キリマンジャロは遠く』テレビドラマ
『大激闘マッドポリス'80』
『特命刑事』
『田原坂』
『勝海舟』
『地方記者・立花陽介』
『北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼』
『十手人』
『相棒』
『おみやさん』
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片桐 竜次(かたぎり りゅうじ、1947年8月14日[1] - )は、日本の俳優。
山口県下関市彦島弟子待町出身[1][2]。東映マネージメント(旧 東映俳優センター[1])を経て2022年よりカメリア(個人事務所)所属。身長174cm、体重70kg。血液型はO型。 子どもの頃五才ごろまで江戸時代生れの曽祖母と一緒に住んでいたという[2]。父は大洋漁業で船の設計の仕事をしていたが[2]、片桐が生まれて9日後に労咳(結核)で亡くなり、母が再婚して家を出たため、片桐は家に残ったその曽祖母と祖母に育てられた[2]。子どもの頃から関門海峡に浮かぶ巌流島まで泳いでいったりしていたと言う。1964年東京オリンピックの年に17歳で上京、杉並区に住む[2]。ブラジルへ移民しようと思い、訓練学校のような所へも通っていたが、大阪に住んでいた母が呼びに来て、大阪ガスへ就職して大阪府茨木市に住む[2]。イタリア映画、フランス映画に夢中で映画館に入り浸っていた。東映に入社してからは、毎日のように二日酔いで朝起きられず遅刻して、会社から役が付けてもらえなかったという[2] 1971年に映画『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』で本格デビュー[3]。 優れた身体能力の持ち主で、1970年代から80年代にかけての全盛期のアクション系作品では、立ち回りや銃撃戦などのアクションシーンにおいても本領を発揮。 ヤクザ映画・時代劇・刑事ドラマでのヤクザや凶悪犯役などを数多く演じていたが、90年代に入ってからは刑事役等、現代劇の仕事を優先し現在に至る。 同郷の松田優作の恵比寿の家で朝まで飲んだとき松田に「ここは治安がいいよ。上にジャイアント馬場さんが住んでいるから」と言われたという[2]。 2016年、俳優生活45周年を記念して、主演映画キリマンジャロは遠く』が制作された[4][5][7]。2018年には監督デビュー[1]。趣味は水泳、好きな映画監督はヒッチコック、好きな小説家は松本清張。同じ下関出身で同郷の松田優作と親友だった[8]。
来歴・人物
出演
映画
女渡世人(1971年1月23日、東映) - 栃木・今市賭場の合力
懲役太郎 まむしの兄弟(1971年6月1日、東映) - 賭場客(滝華の鉄火場)
女番長ブルース 牝蜂の逆襲(1971年10月27日、東映) - 新村ツヨシ
日本暴力団 殺しの盃(1972年5月27日、東映) - 大森
木枯し紋次郎(1972年6月21日、東映) - 五郎吉
極道罷り通る
恐怖女子高校 女暴力教室(1972年9月29日、東映) - 政公
鉄砲玉の美学(1973年2月10日、ATG)- 白服のレイプ男
仁義なき戦いシリーズ(東映)
仁義なき戦い(1973年1月13日) - 目崎武志(矢野組組員)
仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年4月28日) - 川口芳夫(大友組組員)
仁義なき戦い 代理戦争(1973年9月25日) - 打本組組員
仁義なき戦い 頂上作戦(1974年1月15日) - 虫歯の組員(打本会)
仁義なき戦い 完結篇(1974年6月29日) - 野地進一(市岡組組員)
ポルノの女王 にっぽんSEX旅行(1973年) - 郷原の部下
狂走セックス族(1973年、東映) - 野次馬A
やくざ対Gメン 囮(1973年、東映)- 神崎
(秘)女子短大生 集団妊娠(1973年、東映)
まむしの兄弟 恐喝三億円 (1973年) - 熊坂
殺人拳シリーズ(東映)
激突! 殺人拳(1974年) - 花田
殺人拳2(1974年) - 太田黒の配下B
逆襲! 殺人拳(1974年) - 大和田の配下
まむしの兄弟 二人合わせて30犯 (1974年) - 加賀組組員
山口組外伝 九州進攻作戦 (1974年) - 新庄組組員
新仁義なき戦いシリーズ(東映)
新仁義なき戦い(1974年) -上田(関の子分)
新仁義なき戦い 組長の首(1975年) - 浦上(大和田組若頭 相原の若衆)
新仁義なき戦い 組長最後の日(1976年) - 田中好美(河原組組員)
ザ・カラテ