片平なぎさ
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出典検索?: "片平なぎさ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2019年7月)

かたひら なぎさ
片平 なぎさ
本名片平 なぎさ
生年月日 (1959-07-12) 1959年7月12日(64歳)
出生地 日本東京都品川区[1]
身長167 cm
血液型O型
職業女優
ジャンルテレビドラマ映画舞台
配偶者なし(独身)
主な作品
テレビドラマ
大空港
スチュワーデス物語[1]
小京都ミステリー』シリーズ
赤い霊柩車シリーズ
Ns'あおい
凪のお暇』映画
トリック劇場版2
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片平 なぎさ(かたひら なぎさ、1959年7月12日 - )は、日本女優タレント。元アイドル歌手[1]東京都品川区二葉町出身[2]血液型はO型。ホリプロ所属。
略歴

東京都品川区に生まれ[2]、不動産会社経営の両親、姉の4人家族の中で育つ。生後まもなく富山県高岡市[2]新潟県糸魚川市筒石[2]福島県福島市と一家は引っ越しを繰り返し[2]、なぎさの保育園入園と同時に東京品川に戻った[2]。小学校入学と同時に大田区六郷へ転居し[2]高畑小学校に通うが、一年の一学期で品川区中延へ転居したため[2]、中延小学校へ転校。どこへ行っても転校生といじめられ毎日泣いた[2]。友達を作る機会はほぼなく[2]、両親が共働きのカギっ子で、唯一の楽しみは手のり文鳥と遊ぶことだったという[2]。大人になったら、学校帰りに優しく声をかけてくれるみどりのおばさんになろうと思っていた[2]。あまりの寂しさに耐えられず、小学3年生のとき、母親に抗議し、母は仕事を辞めて家にいてくれるようになった[2]。のち区立荏原第二中学校に進学。堀越高等学校卒業。

1974年日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に出演し合格[1][3]1975年東芝から「純愛」で、当初はアイドル歌手としてデビュー[4]。同年に「美しい契り」で第17回日本レコード大賞新人賞、新宿音楽祭銀賞などを受賞した。

歌手デビューの1975年、映画『青い山脈』で女優デビュー。その3年後には歌手活動を休止し本格的に女優業へ転向[4][1]。ホリプロからは山口百恵二世として期待された[5]。ヒットドラマ『スチュワーデス物語』(1983年 - 1984年)では、当時ホリプロの後輩で主人公役を務めた堀ちえみをいじめる悪女役を演じ一躍評判となる[1]。だが、若者世代を中心に高視聴率だったこともあり、この時期は街を歩けば揶揄されるなど苦悩している。

1990年代から、清楚感溢れる聡明な女性や、気丈で正義感の強い女性探偵役が増え始める。『火曜サスペンス劇場』(日本テレビ)の『小京都ミステリー』シリーズ、『山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ』(フジテレビ)、『土曜ワイド劇場』(テレビ朝日)の『子づくり旅行』シリーズなど2時間ドラマの主演シリーズが多数続いた。以降「2時間ドラマの女王」等の異名で知られるようになる[1][3][4][6]

1989年、『わたしは女優・貞奴恋の漫遊記』で舞台デビュー。以後、2000年まで年一度のペースで1ヶ月の座長公演をこなしつつ、女優としてはテレビドラマを中心に活動し、映画から遠ざかっていた。しかし、『TRICK-劇場版2-』(2006年)にて、『瞳の中の訪問者』(1977年)以来、29年ぶりの映画出演を果たした[6]

トーク番組新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送〈現:朝日放送テレビ〉制作・テレビ朝日系)では、1981年11月15日から1992年5月17日までの10年半にわたり、桂三枝(現・六代桂文枝)の4代目アシスタントを務めた[1]。番組アシスタントとしては、事務所の後輩である山瀬まみ2008年1月6日放送分で更新するまで最長出演を記録。女優メインの活動の中では異例の長期起用で人気も高かったが、これ以外に司会の仕事は少ない。

2023年3月、『赤い霊柩車』(フジテレビ)シリーズの終了をもって2時間ドラマの主演が全てなくなった。
人物

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2時間ドラマの女王として君臨し、同事務所である船越英一郎とも多数の2時間ドラマで共演していたが、2001年の松居一代との結婚後は、2時間ドラマでの共演はなくなっている。

数多くの2時間サスペンス / ミステリードラマで主役を務めた片平が、かつて唯一出演経験がなかったのがテレビ東京系列の水曜21時枠であった。しかし、2007年2月28日水曜ミステリー9『黒い骨』の主演を果たし、5大基幹局全ての2時間ミステリードラマ枠での主演を達成(ライバルの船越は先に達成)。なお、テレビ東京系列で特別番組として不定期に制作されていた長編ドラマ作品への出演はこれよりも約15年早い。1992年11月16日放送分の『プレイガール'92・黒真珠殺人事件』にて主演を務めているため、片平にとってはこの作品が事実上テレビ東京系列における2時間サスペンスドラマの初主演である。

デビューのきっかけになった『スター誕生!』は、応募していた同級生が出場直前で怖気づき、「勝手に欠席したら怒られる」とみなで熟考した結果、学芸会でミュージカルの主役経験があった片平が代役にふさわしいという経緯で出場。優勝したものの、父親が芸能界入りに大反対で一度は辞退している。しかし、森昌子山口百恵など、過去の優勝者が芸能界で活躍していることを鑑み、「3年やってみて」という約束で歌手デビューをした。

本人曰く歌は嫌いだという。「歌が下手」「衣装がおかしい」と客は捉えていると疑心暗鬼になり、徹底したネガティブ思考に陥った。仕事場までは常に足取りが重かったという[4]。歌手と俳優業を並行していくうちに芝居への適性を自覚し、のちに本格的に俳優業へ転向した。

青い山脈』で映画デビューした際、作品を作り上げる過程の楽しさ、自分とは違う人間になれることに気づいたという。約束の3年が終わり、芝居の道に進む決心をするが、当時ホリプロには俳優専門スタッフがおらず退社も覚悟していた。しかし、片平の行動をきっかけに社内でドラマ専門のセクションが設立され晴れて女優に転身する。

柔和な人柄で知られ[4]、学生時代を知る人は「真面目で勉強もよくできた」と口を揃える。大成した現在でもファンやスタッフ、投宿先の従業員にまで挨拶や気遣いを欠かさないという。

スチュワーデス物語』出演時は、劇中の名シーンのひとつである「歯で手袋を脱ぎ、義手を見せつける」シーンなど、役柄の非情さも相まって、生々しく恐ろしいイメージが定着。そのため街を歩く際や撮影中には、「魔女」「バケモノ」と罵詈雑言を浴びせられ、さらには石を投げられるなど暴行を受け苦悩した[4]。しかし、共演する若手から「(『スチュワーデス物語』を)観てました」と声をかけられることが増え、会話のきっかけになることも多い。今では「出演して良かったと実感している」と肯定的に捉えている。

体を動かすことが大の苦手。休日は家で過ごすか、行き先を決めず車でキャンプに出かけ自然の中でたたずむのを好む[4]

映画初主演作となった『瞳の中の訪問者』の撮影中、シャワーシーンを控えた片平が共演者の志穂美悦子とともに大林宣彦監督から別室に呼び出され、「次のシーンは(片平演じる)千晶が瞳で恋をする人と初めて会う大事なシーンだ。とても綺麗に撮りたい。美しい映像にしたい。(少し沈黙の後)脱いでくれないかな?」と伝えられた。その後、大林から数時間にわたり穏やかな口調で説得されるも悩み続ける両者であったが、まず志穂美が「なぎさちゃんが脱ぐんだったら私も脱ぐ」と発言。片平は大林の映像や監督手腕を敬っており、作品の撮影意図も理解できたが当時高校生だった片平には荷が重かった。また、芸能界入りの条件として「絶対に脱がない」と父親と盟約を交わしており、その場では判断できず一晩熟考した末にヌードのシーンは断っているが、同作品には前述と同じ役のまま志穂美悦子と出演している。それ以降、現在に至るまで片平が撮影で脱ぐことはなかった[7]

同事務所(ホリプロ)に所属し、2期下の1977年デビューである榊原郁恵とは堀越高校時代の同級生であり親友。互いに名前で呼び合う仲。

出演
テレビドラマ
NHK

日本巖窟王(1979年) - 菊路

天花(2004年3月29日 - 9月25日、連続テレビ小説) - 佐藤秀子

愛と友情のブギウギ(2005年3月28日 - 5月5日) - 主演 紅谷あかり

風に舞いあがるビニールシート(2009年5月30日 - 7月4日) - 神谷温子

デイジー・ラック(2018年4月20日 - 6月22日) - 山城遼子

日本テレビ系

六丁目のスパルタ寮母さんには、赤いバラのいれずみがあった!(1976年、土曜グランド劇場

殉愛 ひとすじの恋(1978年10月12日 - 1979年1月11日) - 三津子

そっとさよなら(1979年4月12日 - 1979年8月16日) - 弓子

あさひが丘の大統領(1979年10月17日 - 1980年9月17日) - 今井涼子


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