片岡義男
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誕生 (1939-03-20)
1939年3月20日(85歳)
日本 東京都
職業小説家、エッセイスト、写真家、翻訳家、評論家
言語日本語
最終学歴早稲田大学法学部
活動期間1963年 -
(小説家としては1974年 - )
ジャンル小説、随筆、翻訳、評論
主題パロディ、ナンセンス、恋愛、オートバイ、サーフィン、ハワイ ・アメリカ文化、日本語
代表作『スローなブギにしてくれ
彼のオートバイ、彼女の島
『メイン・テーマ』
湾岸道路
ボビーに首ったけ
『日本語の外へ』
主な受賞歴第2回野性時代新人文学賞
ウィキポータル 文学
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片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、日本小説家エッセイスト写真家翻訳家評論家である。
人物

東京生まれ。祖父の片岡仁吉は山口県の屋代島(周防大島)出身で、ハワイに移民した人物。父の定一は米国の市民権を有する日系二世[1] である。父は若い頃に苦学をして米本土に渡り、金銭的に余裕ができると、横浜や神戸に遊びにきていた[2]。母は近江八幡の古くから続く数珠屋の娘で、奈良女子高等師範学校を卒業して、山口県岩国で女学校の講師をしていた[2]。父母は岩国で見合い結婚をして、その後アメリカに戻る予定であったが、戦争が近づいていたため、アメリカにはもどれず、母の希望で東京に出る[2]。父は家庭内では英語しか話さず、家庭は英語と関西言葉が飛び交う場所だった[2]。のち2021年に、「日本語能力に百点満点があるとすれば、ぼく自身は65点ぐらい」と語る[3]。5歳の時に戦時疎開で、父母が結婚した場所だった[2]

山口県岩国に移り、6歳で終戦を迎える。広島に投下された原爆キノコ雲を目撃した記憶があるという。父親の仕事の関係で10歳のとき広島県呉市に移り[4]、少年前期を瀬戸内で過ごし13歳で東京に戻る[5]

中学時代に、GHQ関係の仕事をしていた父親が、破棄されるはずだったペーパーバックスを大量に持ち帰ったところ、それに興味を示してそれを分類し、自身でも居住地(世田谷区代田)の近所の古書店の店先になげだされていた、安値の古本を買うようになった[6]。またこの頃、シャーウッド・アンダーソンの『ワイズバーグ・オハイオ』を読み、田舎の貧しい人々の暮らしが、絵や写真でなく、言葉のみで描写されていることに感銘をうける[6]

都立千歳高校卒業。高校時代から熱心に音楽を聴くようになる[7]。ロックンロールが勃興する以前のアメリカ音楽に大きな影響を受け、黒人ボーカル・グループのゴールデン・ゲート・カルテットが登場する映画を観て衝撃をうける[7]。同じころ、モダン・ジャズにも触れ始める[7]。高校時代の最後の衝撃がプレスリーの登場だった[7]

早稲田大学第一法学部を卒業。大学卒業後に商社へ入社したが、三ヶ月で辞めている。

大学在学中の1960年代初頭より、早稲田の先輩の小鷹信光の紹介により[8]、雑文家として活動を開始し、テディ片岡のペンネームでエッセイ、コラム、翻訳、ナンセンス小説等を『マンハント』や『ミステリマガジン』その他の雑誌に発表する傍ら、娯楽色の強い新書本などを手掛ける。

なお、「テディ」という筆名の由来は、名前を考えるにあたって編集者と打ち合わせをした時、たまたま保有したサリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』の最終話が「テディ」だったことによる[9]田中小実昌らが片岡を「テディ」と呼んだことで愛称としても定着した[9]。また、三条美穂という女性名義も使用し、水野良太郎広瀬正伊藤典夫豊田有恒小鷹信光しとう・きねおらとパロディ創作集団「パロディ・ギャング」を結成して活動する。しかし1970年、奥成達が編集長を務めた雑誌『東京25時』9・10月合併号に、サザエさんのパロディ漫画『サザエさま』を掲載(木崎しょう平作画)すると、原作者である長谷川町子の作品を管理する姉妹社から訴えられ、罰金50万円の支払いと謝罪広告の掲載がなされた[10]。長谷川は飯沢匡との対談の中で、面白いならまだしも作品の出来が悪いことや、内容に悪意を感じたため、名誉を毀損されたと感じ裁判を起こしたとしている[11]

片岡義男名義では、1971年に三一書房より『ぼくはプレスリーが大好き』、1973年に『10セントの意識革命』を刊行。また、植草甚一らと共に草創期の『宝島編集長としても活躍する。

1974年、野性時代5月号(創刊号[12])に掲載された『白い波の荒野へ』で小説家としてデビュー[注 1]。翌年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞し、直木賞候補となる。1970年代後半からは「ポパイ」をはじめとする雑誌にアメリカ文化や、サーフィン、ハワイ、オートバイなどに関するエッセイを発表する傍ら、角川文庫を中心に1?2ヶ月に1冊のハイペースで新刊小説を量産。またFM東京深夜放送番組FM25時 きまぐれ飛行船?野性時代?」のパーソナリティを務めた他[注 2]パイオニアから当時発売されていたコンポーネントカーステレオ、「ロンサム・カーボーイ」のテレビCM[注 3] のナレーションを担当するなど、当時の若者の絶大な支持を集めた。

代表作である『スローなブギにしてくれ』(東映と共同製作)、『彼のオートバイ、彼女の島』、『メイン・テーマ』、『ボビーに首ったけ』は角川映画で、また『湾岸道路』は東映で映画化されている。

近年は『日本語の外へ』などの著作で、英語を母語とする者から見た日本文化論や日本語についての考察を行っているほか、写真家としても活躍している。
著作

作品の大半は絶版となっているが、公式サイト(片岡義男.com)において全著作の電子化計画が進められている。また、著作権者自らの意思により、一部の作品は「青空文庫」にて公開されている[13]

なお『サザエさま』は公式サイトに記載が無い。
テディ片岡名義

『C調英語教室』三一新書、1963年2月23日。
NDLJP:2455066。 

もだん・めりけん 珍本市 紳士のベッドサイド・ブック 久保書店 1964

『味のある英会話』三一新書、1965年4月2日。NDLJP:2505732。 

意地悪な本―あなたもやってみませんか!KKベストセラーズ 1968

ハッスルする本 一読たちまち男性上位 双葉新書 1969

20世紀最後の珍本 5分間ごとに脳ミソがしびれる KKベストセラーズ 1969

笑わせる本 オッ!話の中味は珍品揃い 大和書房 1969 (ダイワブックス)

テディ片岡ゴールデンデラックス 愛と真実を追求するメチャクチャ小説 三崎書房 1971(再版時「テディのナンセンス小説集」に改題)

トイレ的発想の書 わあー,こりゃすごい 意地悪な本No.2 KKベストセラーズ 1971

だじゃれ笑学校 KKベストセラーズ 1975(しとうきねおと共著)

意地悪ポケット本―こんな楽しみ、やめられない ワニ文庫 1984

三条美穂名義

『殺人鬼を追え 黒い追跡』ウェイド・ミラー 著/三条美穂 訳(久保書店[QTブックス]/1966年)

『これがホントのパズルでござる 頭のワルくなる本』パロディ・ギャング 編(コダマプレス[Q collections]/1966年)

『ザ・プレーボーイ 22人の男がたどった栄光と孤独の軌跡』三条美穂 編(久保書店/1967年)

『アッ!これは傑作 世界のグッド・アイデア』パロディ・ギャング 編(明文社[ナンバーワン・ブックス]/1969年)

片岡義男名義
小説

『友よ、また逢おう』(1974年、
角川書店/1981年、角川文庫

『ロンサム・カウボーイ』(1975年、改版2015年、晶文社/1979年、角川文庫)

スローなブギにしてくれ』(1976年、角川書店/1979年、2001年、角川文庫)

『トウキョウベイ・ブルース』(1980年、集英社コバルト文庫

彼のオートバイ、彼女の島』(1977年、角川書店/1980年、角川文庫)

『人生は野菜スープ』(1977年、角川書店/1980年、角川文庫)

『ハロー・グッドバイ』(1978年、集英社コバルト文庫)

ボビーに首ったけ』(1978年、角川書店/1980年、角川文庫)

『波乗りの島』(1979年、晶文社/1980年、角川文庫/1993年、ブロンズ新社/1998年、双葉文庫

『マーマレードの朝』(1979年、角川文庫)

『愛してるなんて とても言えない』(1979年、集英社コバルト文庫/1989年、集英社)

『ラジオが泣いた夜』(1980年、角川文庫)

『いい旅を、と誰もが言った』(1980年、角川書店/1981年、角川文庫/1998年、双葉文庫)

『ときには星の下で眠る』(1980年、角川文庫)

『味噌汁は朝のブルース』(1980年、角川文庫)

『どうぞお入り 外は雨』(1982年、集英社コバルト文庫)

『最終夜行寝台』(1981年、角川文庫)

『限りなき夏 1』(1981年、角川文庫)

『吹いていく風のバラッド』(1981年、角川文庫)

『夕陽に赤い帆』(1981年、角川文庫)

『俺のハートがNOと言う』(1981年、角川文庫)

『and I Love Her』(1982年、角川文庫)

湾岸道路』(1982年、角川書店/1984年、角川文庫)

『Ten Years After』(1982年、角川文庫)

『彼女が風に吹かれた場合』(1982年、カドカワノベルズ/1984年、角川文庫)

『美人物語』(1982年、角川文庫)

『幸せは白いTシャツ』(1982年、角川文庫)

『8フィートの週末』(1983年、新潮文庫

『ドライ・マティーニが口をきく』(1983年、角川文庫)

『メイン・テーマ』PART 1 - 3(1983年 - 1984年、角川書店/1985年 - 1987年、角川文庫)

『一日じゅう空を見ていた』(1984年、角川文庫)

『缶ビールのロマンス』(1984年、角川文庫)

『こちらは雪だと彼女に伝えてくれ』(1984年、集英社コバルト文庫)

『B面の最初の曲』(1984年、角川文庫)

『ふたり景色』(1984年、角川文庫)

『誰もがいま淋しい』(1984年、角川文庫)

『ボビーをつかまえろ』(1985年、角川文庫)

『寝顔やさしく』(1985年、角川文庫)

『心のままに』(1985年、角川文庫)

『さっきまで優しかった人』(1985年、新潮社/1988年、新潮文庫)

『ミス・リグビーの幸福』(1985年、早川書房/1987年 - 1988年、ハヤカワ・ミステリ文庫[注 4]

『ふたとおりの終点』(1985年、角川文庫)

『彼らがまだ幸福だった頃』(1985年、角川文庫)

『ラストシーンの出来ばえ』(1986年、角川文庫)

『彼のオートバイ、彼女の島 2』(1986年、角川文庫)

『微笑の育てかた』(1986年、角川文庫)

『最愛のダーク・ブルー』(1986年、集英社コバルト文庫)

『桔梗が咲いた』(1986年、角川文庫)

『私は彼の私』(1986年、角川文庫)

『時差のないふたつの島』(1987年、新潮文庫)

『片岡義男 31 STORIES/1 - 2』(1987年、晶文社)

『彼女の心とその周辺』(1987年、東京書籍

『バラッド30曲で1冊』(1987年、角川文庫)

『嘘はほんのり赤い』(1987年、角川文庫)

『ドアの遠近法』(1987年、祥伝社NON POCHETTE)

『彼らに元気が出る理由』(1987年、カドカワノベルズ/1990年、角川文庫)

『すこしだけ白、すこしだけ黒』(1987年、角川文庫)

『星の数ほど』(1987年、角川文庫)

『頬よせてホノルル』(1987年、新潮社/1990年、新潮文庫)

『今日は口数が少ない』(1988年、角川文庫)

『少年の行動』(1988年、角川文庫)

『魚座の最後の日』(1988年、角川文庫)

『恋愛小説』(1988年、角川文庫)

『浴室で深呼吸』(1987年、祥伝社NON POCHETTE)

『長距離ライダーの憂鬱』(1988年、角川文庫)

『海を呼びもどす』(1989年、光文社/1993年、光文社文庫/1999年、同文書院

『結婚しよう』(1989年、角川文庫)

『ミッチェル』(1989年、東京書籍/1992年、新潮文庫)

『五つの夏の物語』(1989年、角川文庫)

『彼女と語るために僕が選んだ7つの小説』(1989年、新潮社)

『赤い靴が悲しい』(1987年、祥伝社NON POCHETTE)

『花のある静かな日』(1989年、角川文庫)

『香水と誕生日』(1990年、講談社/1993年、講談社文庫


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