かたおか れいこ
片岡 礼子
生年月日 (1971-12-20) 1971年12月20日(52歳)
出生地 日本
愛媛県・伊予郡松前町
民族日本人
身長160 cm
血液型A型
職業女優
ジャンルテレビドラマ、映画、ラジオ
活動期間1991年 - 2002年、2004年 -
配偶者有り(1998年 - )
事務所ハイイロ[1]
公式サイト片岡礼子 オフィシャルサイト
受賞
ブルーリボン賞
主演女優賞
2001年『ハッシュ!』
その他の賞
ヨコハマ映画祭
助演女優賞
1997年『鬼火』
最優秀新人賞
1995年『KAMIKAZE TAXI』高崎映画祭
最優秀助演女優賞
2006年『帰郷』キネマ旬報ベスト・テン
主演女優賞
2001年『ハッシュ!』ギャラクシー賞 ラジオ部門優秀賞
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片岡 礼子(かたおか れいこ、1971年12月20日 - )は、愛媛県伊予郡松前町出身の女優。ハイイロ所属[1][2](元:芹川事務所[3]、pdash、カクトエンタテインメント[2])。 松前町立岡田小学校[4][5]、松前町立岡田中学校[5][6]、愛媛県立伊予高等学校(5期生)[7][8]、明星大学理工学部土木工学科卒業[9][10][11]。 小さいころはおとなしい子どもで、何かものを作ることや、本、漫画、水泳が好きで球技は弱かった[10]。小学4年生から6年生まで金管バンドに所属してトランペットを吹いていた[12][13]。また同時期に音楽クラブに入り、アコーディオンや小太鼓をしていた[4]。 小学生のころはマラソンに関して苦手意識があったが、次第に周りの友人が一生懸命スポーツに取り組んだり、速いスピードで走る姿に影響を受け、片岡もベストタイムを出そうと努力したり10年くらいかけて意識が変わっていったという[14]。 テレビで放送されたジャッキー・チェンが出演する映画『酔拳』を見て憧れの人となる[10][15]。映画館で初めて見たのは『五福星』。ジャッキー・チェンをきっかけに映画が好きになり、多くの映画をのめり込むように見た[10]。女優になりたいというのはまだなかったが、「映画に何か関わりたい」という気持ちはあった[10]。 中学生の頃『ミス南ちゃんコンテスト』に応募して、コンテストに出場したことがある[10]。 高校でもマラソン大会があり、苦手意識はあったが仲の良い双子の姉妹が練習時から1位と2位を取る姿に憧れる[16]。3ヵ年計画で「どれくらいタイムが縮まるか」を自分に求めてみた[16]。20位までは表彰されるためやれるだけやってみようと思って、毎日ではないが水泳部で走ることなど少しずつ練習を増やしていった[16]。1年生は半分より少し前だったが、3年生は19位で入賞して嬉しい思い出であると述べている[16]。水泳部[16]と、生徒会に所属して副会長だった[17]。 東京の大学に行くと決めた時は映画に関わる夢を抱える状態だった[9]。両親は女優に反対で、大学の4年間でチャンスをつかめなければ、土木の勉強を活かして愛媛に帰って就職すると約束し、挑戦することにした[9][10]。 1991年に民社党4代目の『’91年キャンペーンキャラクター』に選ばれて[18]、党のアピール活動以外に、一週間に一回党新聞にエッセイを書いた[19]。大学の軽音学部に籍を置いていた[12]。 1992年に女子大生モデルとして『週刊朝日』の表紙(撮影:篠山紀信)を飾る[10]。表紙モデルは一度応募したがその時は受からず、次の年に応募したら合格した[10]。 1993年、橋口亮輔監督の『二十才の微熱』でスクリーンデビュー[10]。大学3年生の夏休みに実家に帰省していた時に、この映画のオーディションを受けないかと連絡が入る。最初は実年齢より年下の高校生「あつみ」の役を受けたが不合格で、もう一度オーディションを受けるチャンスがあり「鈴木頼子」の役で合格した[20]。 駆け出しのころは、出演者がケガなどで舞台に立てない時のための補欠として公演に同行していた[21]。
来歴
幼少期 - 高校時代
女優として
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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