片山恭一
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片山 恭一
(かたやま きょういち)
誕生 (1959-01-05)
1959年1月5日(65歳)
日本愛媛県宇和島市
職業小説家
言語日本語
教育修士
最終学歴九州大学大学院農学研究科
修士課程修了・博士後期課程中退
活動期間1986年 -
ジャンル小説、歌詞
主題恋愛
代表作『きみの知らないところで世界は動く』(1996年)
世界の中心で、愛をさけぶ』(2001年)
主な受賞歴文学界新人賞(1986年)
デビュー作『気配』(1986年)
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片山 恭一(かたやま きょういち、1959年1月5日 - )は、日本の男性小説家
人物・来歴

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。愛媛県立宇和島東高等学校九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院農学研究科修士課程を経て、博士課程を退学。父は宇和島市役所の職員で観光課の仕事が長かった。多趣味の父に連れられ休日は山歩きや魚釣りなど自然の中で遊ぶ少年時代を送る。高校2年の時に脳腫瘍の疑いで倒れたことがあり、この頃触れた『万葉集』の解説書が文学を目指した原点だという[1]

高樹のぶ子も所属していた福岡の文芸同人誌『らむぷ』で活動。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞してデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。

代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年4月に出版され、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

『世界の中心で愛を叫ぶ』は映画版が社会現象化し、その相乗効果で原作の発行部数も重版を重ねながらドラマ化、舞台化と多くの人々に広まっていった。当初は自分の想像をはるかに超える反響の大きさに戸惑いを覚えていたが、若い読者から「世界は美しいんだなと思えました」といった内容の手紙が多く届いたことが一番嬉しかったと片山はのちに語っている。その後も多くの著作を発表しており、『世界の中心で愛を叫ぶ』発表から約20年の間にヒット作はないが、片山自身は「経済的に余裕ができたからこそ、この20年間、自分が書きたいことを自由に書いてこられた。良い作品を世に出すことがその恩返しになる」と片山自身のペースを大事にしながら執筆活動を続けている[2]。また、長い間剣道を続けており、剣道の腕前も高く、剣道五段を有している。

2012年1月25日発売の大石昌良のアルバム『31マイスクリーム』では、片山自身初の作詞を手がけた[3]
著作

きみの知らないところで世界は動く』(新潮社、1995年、ポプラ社、2003年)のち小学館文庫

『ジョン・レノンを信じるな』(角川書店、1997年)のち小学館文庫

『DNAに負けない心』(エッセイ)(新潮Oh!文庫、2000年。改題『考える元気』光文社文庫、2004年)

世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館、2001年)のち文庫

『満月の夜、モビイ・ディックが』(小学館、2002年)のち文庫

『空のレンズ』(ポプラ社、2003年)のち講談社文庫

『もしも私が、そこにいるならば』(小学館、2003年)のち文庫

『雨の日のイルカたちは』(文藝春秋、2004年)のち文庫


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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