この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "爆笑BOOING"
爆笑BOOING
↓
超!爆笑BOOING
ジャンルお笑い番組 / バラエティ番組
シリーズ数2
製作
制作関西テレビ
東通企画(協力)
放送
放送チャンネル関西テレビ
放送期間1993年4月2日(1日深夜) - 1996年3月29日(30日深夜)
放送時間金曜 0:20 - 0:50(木曜深夜)
放送分30分
超!爆笑BOOING
司会者梅田淳(当時関西テレビアナウンサー)
吉岡美賀子(当時関西テレビアナウンサー)
ナレーター後述参照
放送期間1996年4月5日(4日深夜)- 9月27日(26日深夜)
テンプレートを表示
『爆笑BOOING』(ばくしょうブーイング)は、1993年4月2日(1日深夜)から1996年3月29日(30日深夜)まで関西テレビで木曜深夜に放送されていた関西ローカルのお笑い番組である。制作は東通企画。
この項目では、1996年4月5日(4日深夜)から9月27日(26日深夜)まで同局で放送されていた後継番組『超爆笑BOOING』についても触れる。 毎回若手のお笑い芸人たちが観客たちの前で漫才やコントを披露していた深夜番組で、1991年4月から同年9月まで同局で放送されていた『爆笑GONGSHOW』を前身とする。 審査員でもある観客たちは、ネタの途中で「面白くない」と感じたら「BOOINGカード」と呼ばれる円形のカードを挙げる。カードを挙げた観客が10名に達すると、舞台が暗転してネタは強制的に終了となり、参加芸人は退場させられた。 退場にならずに3分間ネタを続けられれば勝ち抜けとなる。5回連続(『超』では7回連続)で勝ち抜けるとチャンピオンに認定され、グランドチャンピオン大会の出演権と副賞の賞金10万円と賞品を獲得した。グランドチャンピオン大会は、参加芸人に普通にネタを披露させ、最も面白かった芸人に審査員が投票する方式で行われた。優勝者はグランドチャンピオンの栄誉と副賞の賞金30万円を獲得した。 当番組は関西地区以外でも放送されており、関東地区でも独立放送局で放送されていた。観客の反応でネタのオンエアが決まるシステムは、その後全国区のお笑い番組(『爆笑オンエアバトル』など)にも影響を与えた。 番組はその後、1996年春の改編を機に『超爆笑BOOING』へと改題リニューアル。内容はリニューアル前とほぼ同じだったものの、こちらは短期間で終了した。 後述の通り、東京の事務所所属の芸人(いわゆる「ボキャブラ世代」)も多数出演していたが、観客の評価は総じて低いものであった。番組開始当初の観客は東京の芸人のネタをろくに見ようともしなかったため、ご意見番役のキダ・タローが激怒したというエピソードが、堀内健(ネプチューン、出演当時はフローレンス)に語られている。そのような中で、海砂利水魚・相馬ひろみ・ノンキーズ・らんぶるふぃっしゅの4組は東京芸人ながら5週勝ち抜きを達成した。 グランドチャンピオンノミネート(5週勝ち抜きチャンピオン)
概要
出演者
司会
遥洋子
牧野エミ
『超』時代には梅田淳(当時関西テレビアナウンサー)が務めていた。
BOOINGおじさん(ご意見番)
キダ・タロー
『超』時代には週替わり制になっていた。
ウオッチマン
中村壮快 - BOOINGカードを数えていた人物。『超』時代には電飾で枚数をカウントするシステムに変更されたため、降板。その後は大滝エージェンシーのスタッフをしている。
出場した芸人
歴代チャンピオン
初代電車道千原兄弟、T・K・O、矢野・兵動
二代矢野・兵動ダックスープ、千原兄弟、のイズ、誉
三代ジャリズム杉岡みどり、相馬ひろみ、やるじゃねぇかーず、らんぶるふぃっしゅ