爆笑問題
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環境省COOL CHOICE LEADERS AWARD表彰式(2017年12月9日撮影)
左:田中、右:太田
メンバー太田光
田中裕二
別名爆笑、爆問
結成年1988年
事務所タイタン
活動時期1988年 -
出身太田プロダクションスカウト
出会い日本大学芸術学部
現在の活動状況テレビ・ラジオ
芸種漫才コント
ネタ作成者太田光
現在の代表番組テレビ番組
サンデージャポン
Eテレ0655&2355
ラジオ番組
爆笑問題の日曜サンデー
爆笑問題カーボーイ
過去の代表番組森田一義アワー 笑っていいとも!
ポップジャム
号外!!爆笑大問題
大爆笑問題対爆笑問題
大好き!東京ゲスト10
爆笑問題のススメ
あっぱれ!日本一
ザ・ジャッジ! ?得する法律ファイル
爆笑問題のバク天!
爆笑問題の楽しい地球
爆笑おすピー大問題!!
スタ☆メン
爆笑問題の検索ちゃん
クイズ雑学王
キズナ食堂
爆!爆!爆笑問題
爆問パニックフェイス!爆問パワフルフェイス!
爆笑問題の大変よくできました!
ストライクTV
爆報! THE フライデー
お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺
爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!
など
同期さまぁ?ず
月亭方正
デンジャラス
江頭2:50
松村邦洋
ギブ↑大久保など
公式サイト所属事務所プロフィール
受賞歴
1993年 NHK新人演芸大賞 大賞
1994年 GAHAHAキング 初代チャンピオン
1997年 国立演芸場 花形演芸大賞 銀賞
1998年 国立演芸場花形演芸大賞 金賞
1998年 ゴールデン・アロー賞 芸能賞
1999年 浅草芸能大賞 新人賞
2000年 国立演芸場花形演芸大賞 審査員特別賞
2000年 笑芸人大賞 銀賞
2001年 国立演芸場花形演芸大賞 特別大賞
2006年 芸術選奨文部科学大臣賞
2010年 第5回マニフェスト大賞 審査委員長特別賞
2012年 喜劇人大賞 特別賞
2013年 GQ Men of the Decade
2020年 ギャラクシー賞 ラジオ部門 DJパーソナリティー賞
2020年 浅草芸能大賞 奨励賞
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爆笑問題
YouTube
チャンネル

爆笑問題のコント テレビの話

活動期間2022年8月24日 -
ジャンルエンターテイメント
登録者数9.37万人
総再生回数446万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-03-27-00002023年3月27日時点。
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爆笑問題(ばくしょうもんだい)は、タイタンに所属する太田光田中裕二からなる日本お笑いコンビ司会者。略称は爆問、爆笑(さん)など。
メンバー詳細は「太田光」および「田中裕二」を参照
太田 光(おおた ひかり、1965年5月13日 - )(58歳)
ボケ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって右。埼玉県ふじみ野市出身。
田中 裕二(たなか ゆうじ、1965年1月10日 - )(59歳)
ツッコミ・リーダー[1]担当、立ち位置は向かって左。東京都中野区出身。
芸歴

日本大学芸術学部(日芸)演劇学科の在学中に出会い、中退後の1988年3月にコンビを結成。

コンビ結成以前、1984年に演劇ユニット『クレイジードッグス』というユニットに2人で参加していた時期があった。後にユニットは解散したため、爆笑問題を結成することになる。

暦年の年齢は同じだが田中の方が早生まれであるため、1学年上となっている。太田は大東文化大学第一高等学校から現役で、田中は東京都立井草高等学校から一浪で日芸の演劇学科に合格して同期生となる。

渡辺正行主催のラ・ママ新人コント大会でデビュー、その場で太田プロにスカウトされる。1988年7月12日放送の深夜番組『笑いの殿堂』(フジテレビ)でテレビデビュー。以降順調にレギュラーを増やし、ビートたけし退所後の太田プロのイチ押しの存在となる。ショートコント全盛の時代に、「進路指導室」「東京の不動産屋」などの作り込まれたコントで注目を集めるが、次第に漫才を主体とするようになる。太田の毒に満ちたボケと田中のストレートなツッコミという正統的漫才で人気を集めた。

1990年に太田プロから独立し「スパイシーフルーツ」へ所属。爆笑問題をスカウトした担当マネージャーから独立を唆されたのと、プロデューサーからもっとマイルドにした方がいいと指示されるなど自らがやりたい仕事をやりたかったことが挙げられている[2]。しかしこの独立は一方的に辞める形だったため太田プロの怒りを買い、一時的に仕事がなくなりテレビからも姿を消す[3]。このことで、「ブレイク前に将門首塚にドロップキックをしたことがあり、そのせいでしばらくの間まったく仕事が来なかった」という噂を生んだ。ただし、所属事務所の社長で太田の妻・太田光代は「テレビ番組の企画で、太田が首塚に失礼なこと」をした事実は認めているが、伝説との関係は否定している[4]。当時のことについては「自分たちが全面的に悪かった」「面白ければ仕事がなくなることはないだろうと思っていた」と語っている[5]。またこの時期、田中は主にコンビニエンスストアミニストップ)のアルバイトで、太田は妻の太田光代のアルバイトやパチンコパチスロでの稼ぎで生計を立てていた。


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