燕攻略
戦争:秦の統一戦争
年月日:紀元前227年-紀元前222年
場所:薊
結果:燕の滅亡
交戦勢力
秦燕
代
指導者・指揮官
王翦
辛勝
李信
王賁燕王喜
燕太子丹
代王嘉
戦力
数十万人10万人
損害
数万人全軍壊滅
秦の統一戦争
?
平陽
肥下
番吾
韓攻略
趙攻略
魏攻略
城父
楚攻略
燕・代攻略
燕攻略戦(えんこうりゃくせん)は、秦が燕を滅ぼした戦い。 燕は弱小な国であった[1]。太子丹はかつて人質として趙の邯鄲で過ごし、同じ境遇の政と親しかった[2]。政が秦王になると、丹は秦の人質となり12年間、咸陽に住んだ[3]。このころ、彼に対する秦の扱いは礼に欠けたものになっていた[4]。『燕丹子』という書によると、帰国の希望を述べた丹に秦王政は「烏の頭が白くなり、馬に角が生えたら返そう」と言った。ありえないことに丹が嘆息すると、白い頭の烏と角が生えた馬が現れた。やむなく秦王政は帰国を許したという[注 1][4]。丹は秦に対し深い恨みを抱くようになった[6]。 両国の間にあった趙が滅ぶと、秦は幾度となく燕を攻め、燕は武力では太刀打ちできなかった[1]。丹は非常の手段である暗殺計画を練り、荊軻という刺客に白羽の矢を立てた[7][1]。
秦王政の暗殺未遂詳細は「荊軻」を参照
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