燕州
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燕州(えんしゅう)は、中国にかつて存在した
北魏の燕州

本節では、南北朝時代から隋代にかけて、現在の河北省張家口市一帯に設置された燕州について述べる。

487年太和11年)、北魏により恒州の東部が分割されて燕州が置かれた。526年孝昌2年)、杜洛周は燕州を攻め落とされた。

536年天平3年)、東魏により東燕州が置かれた。東燕州は昌平郡・上谷郡・遍城郡の3郡を管轄した[1]

555年天保6年)、北斉により懐戎県に北燕州が置かれ、長寧郡と永豊郡を管轄した。

577年建徳6年)、北周により北燕州は燕州と改称されたが、東燕州は廃止された。

隋初には、燕州は長寧郡・永豊郡・昌平郡の3郡を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、燕州の属郡は廃止された。605年大業元年)、燕州は廃止され、その管轄区域は幽州に移管された[2]
唐の燕州

本節では、唐代に現在の遼寧省錦州市北西部に設置され、現在の北京市に移転した燕州について述べる。

隋末に靺鞨の首長の突地稽が隋に帰順して遼西郡太守とされた。618年武徳元年)、突地稽が唐に使者を派遣して朝貢すると、その部落に燕州が置かれ、突地稽は燕州総管となった[3]。燕州は遼西瀘河懐遠の3県を管轄した。この年のうちに瀘河県が廃止された。623年(武徳6年)、燕州の州治は幽州城内(現在の北京市区南西)に移された。627年貞観元年)、懐遠県が廃止された。737年開元25年)、燕州の州治は桃谷山(現在の北京市昌平区桃峪口)に移された。742年天宝元年)、燕州は帰徳郡と改称された。758年乾元元年)、帰徳郡は燕州の称にもどされた。燕州は河北道に属し、遼西県1県を管轄した[4]781年建中2年)、朱滔は燕州を攻め落とされ、廃止されて幽都県とされた[5]
脚注^魏書』地形志二上
^隋書』地理志中
^旧唐書』北狄伝
^ 『旧唐書』地理志二
^新唐書』地理志三










隋朝の行政区分

 606年大業2年)以前(州制)

雍州地区

雍州

同州

岐州



寧州

敷州

綏州

延州

慶州

原州

夏州

塩州

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勝州

豊州

秦州

渭州

蘭州

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?州

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梁州地区

梁州

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?州

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?州

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