熱気球
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この項目では、空気を暖めて飛行する熱気球について説明しています。ガスなど他の気体を使用する気球については「気球」を、スカイスポーツとしての熱気球については「熱気球競技」をご覧ください。
熱気球

熱気球(ねつききゅう、英語: hot air balloon, フランス語: Montgolfiere)とは、気球の一種で、気密性のの中に下方から熱した空気を送りこみ、その浮力で浮揚して飛行するもの。
概要

熱気球は、球皮(エンベロープ)と呼ばれる袋の中の空気を下部に取り付けたバーナー等で熱し、外気と比べて比重が軽くなることで生じる浮力で浮揚する。乗員は通常、球皮の下に取り付けられたゴンドラ(バスケット)に乗る。一部ハーネス等でパラグライダーのように吊った状態で飛行するものもある。

バーナーの火力の調整による上昇・下降のみが可能であり、水平方向の移動は基本的には「まかせ」である。飛行船のような自前の推進力で水平方向の進行方向を選ぶことは基本的にはできない。だが、の向きと強さは高度によって異なるため、進みたい方向の風を想定し(ある程度熟練したパイロットは、飛行区域における高度別の風向などは、季節・時間帯による定常風、および飛行前のブリーフィング等で提示された天候等から、把握している)それに乗るべく高度を調節することで、どの方角に進むかある程度選ぶこともできる。熱気球の上部(クラウンと呼ばれることが多い)には球皮内の空気を抜くための弁がある。弁には各種構造があるが、一般的なものではパラシュートと呼ばれる円形に縫製された布によって内圧で塞がれている。排気を行う場合は排気弁、通常リップラインと呼ばれる紐を引く事によってパラシュートを引き下げ、排気する。排気弁には本来大きく分けて2種類の名称がある。ダンプとリップである。ダンプは上空で飛行中使用することを目的とし、リップは最終排気を行うための物である。前述のパラシュート形式の弁の場合、この両方の機能を併せ持っているために操作索はリップラインと呼ばれる。

熱源となるバーナーの燃料はLPGを使用しており、飛行時間にもよるが、一度のフライトで一般家庭が使用する約1?2ヶ月分のLPGを消費する。その他にも特殊フライトをする機体では別の燃料を使用する事例もある。

熱気球の飛行は、その地域を管轄する空港との調整が必要である。航空路や、管制圏等を避けたエリアに対して飛行可能であるエリアや高度が決められる。飛行可能となるエリアはノータムとして申請し、一般の他の航空機に対しても公示される。一部の空港に近接した地域では、離陸前および着陸後に空港へ連絡する必要がある場合もある。
歴史天灯モンゴルフィエ兄弟の実験(1783年モンゴルフィエの熱気球の飛行の様子

古くは諸葛亮天灯という熱気球を発明していたという俗説がある。また有人飛行に限らなければポルトガルバルトロメウ・デ・グスマンがモンゴルフィエ兄弟よりも早く(1709年に)、熱気球の実用模型を飛ばしていた(この実験は教会から異端として告発され、以降実験は中止されることとなった)が、これらはいずれも小型で、気球というより風船に近い存在であった。

熱気球による初の有人飛行を成功させたのはフランスモンゴルフィエ兄弟(ジョセフ・ミシェル、ジャック・エティエンヌ)である。二人は煙突から立ち上るから、温めた気体を袋に詰め空を飛ぶというアイデアを着想したと言われる。最初は暖炉の煙を紙袋に詰めて実験し、自分たちの理論が正しいことを確かめると、より大きな袋(風船)を作成する。1783年6月5日に無人での飛行に成功。同年9月19日にはベルサイユ宮殿ルイ16世マリー・アントワネットの前で動物を乗せたデモンストレーション飛行に成功、同年11月21日にピラトール・ド・ロジェとフランソワ・ダルランド侯爵の二人をのせた気球がブローニュの森から飛び立ち90 mの高さで25分間、約8.8 kmを飛行した。発明者たちの名を取ってフランス語などでは「モンゴルフィエール」が熱気球を意味する一般名詞となってもいる。

モンゴルフィエによる有人飛行の10日後にはジャック・シャルルによる水素を詰めたガス気球の有人飛行が成功する。

人類で初めて気球に乗った飛行者のロジェは、翌々年1785年6月15日に自らが考案した熱気球と水素気球を結合した新型気球でドーバー海峡を飛行試験中、水素に引火した爆発で同乗者のジュール・ロマンとともに墜落死し、人類初の気球による死者となった(この新型気球は20世紀に再実用化され、「ロジェ気球(ロジェール)」と呼ばれている)。

気球は一時期ブームとなったものの、風まかせであるため旅客・物資輸送等には適さず冒険家による長距離飛行記録など金持ちの趣味の域を超える物ではなかった。また、空中での火力維持と燃料供給の難しさから、熱気球よりもガス気球が主流となった。

その後、気球は飛行船飛行機の発明により衰退するが、第二次世界大戦以後スカイスポーツとして復活した。1959年アメリカでNASAなどとの共同作業でRAVEN社の技術者エドヨーストらによって近代的熱気球が作られ飛行が行われた。近代的熱気球とはナイロンなどの化学繊維を球皮(エンベロープ)とし、プロパンガスを燃料として飛行する物を指す。この飛行の成功から数年後、初のスポーツ用熱気球がRAVEN社によって市場に販売開始される[1]。その後イギリス、フランスなどにも気球メーカーが出来る。ガス気球の世界で名が知られたピカールも一時期熱気球を製造していた。

日本で、日本人による最初の有人飛行を熱気球で行なったのは、京都大学立命館大学を中心とする京都の学生達からなるイカロス昇天グループと北海道大学の探検部が協同して作成した熱気球である[2]。この熱気球には初飛行時には名前がついておらず、取材に来たテレビ会社の記者が呼んだ“空坊主”という仮の名前が使われていた。初飛行は1969年に北海道の羊蹄山を望む真狩村において行われた。熱気球の分担内容はイカロス昇天グループが球皮とゴンドラを、北大探検部熱気球班がバーナーを、それぞれ独自に作成し一つの熱気球として完成させている。なおこの熱気球の球皮の形の決定には京大生の嶋本伸雄が電子計算機を用いて精密な形状の決定を行った。飛行時の仮名“空坊主”はのちにイカロス昇天グループによりイカロス5号と改められたので、現在はイカロス5号が正式名称とされている。なお初飛行も担当したイカロス昇天グループの梅棹エリオは、文化人類学者である梅棹忠夫の息子にあたる。これ以降も北大探検部アフリカ班、未知の会、慶大探検部、広大熱気球部など次々と熱気球活動を行う団体が設立され、スカイスポーツとしての熱気球競技が盛んになって行く。

2014年にはブラジルで開催された熱気球世界選手権で藤田雄大選手が日本人として初優勝した。

日本の熱気球の活動はイカロス5号に触発され、大学探検部などによる自作した気球により飛行する活動から始まった。多くの大学にクラブが創立され気球を製作しフライトを行った。飛行するためには試行錯誤と長い製作時間を要した。

その後欧米の気球メーカー製の機体が輸入される様になり、一般化する。大学クラブの衰退もあり、現在では自作気球はほとんど作られず、ほとんどの熱気球がメーカー製である。

アメリカ同時多発テロ事件以降、航空機である気球製造に係わるメーカー側が掛ける生産物賠償責任保険と、ユーザーが掛ける賠償責任保険が数倍に高騰し、気球活動そのものがとても大きく影響を受けていて、気球メーカーの販売額はテロ以前の25%以下にまで落ち込み撤退するメーカーが出ている[1]
構造と装備

熱気球は、大きく分類して「球皮」(熱気を蓄えるための袋)と呼ばれる部分と、乗員が搭乗し、燃料を搭載し熱源となるバーナーなどが搭載された「下回り」と呼ばれる部分によって構成される。球皮部分と下回りは、3mmから5mmのステンレスやケブラー繊維のサスペンションケーブルで接続される。下回りは、ゴンドラ、リジットポール、バーナー、ロードフレーム、シリンダー(LPGタンク)、計器などから構成される。
球皮(エンベロープ)バーナー(右)と膨らまされる球皮球皮の内部、中心にみえる円形部分(パラシュート)の開閉による熱気の大気開放とバーナーによる球皮内の空気加熱によって、気球の高度を調整する。サーモグラフィーによる熱分布画像

飛行状態の熱気球において最も巨大な部分。収納時は全ての空気が抜かれ、ゴンドラに収まるくらいにコンパクトになる。材質は主にポリウレタン気密コーティングされたナイロンポリエステルで出来ており、荷重を受ける部分はナイロンやポリエステル製のロードテープにより補強されている。これらは主にポリエステル等の糸で縫製されている。耐熱性を要する場所はノーメックス等の糸で縫製される。

また、バーナーの近く(開口部周辺)は耐熱性を高めるためにアラミド繊維のノーメックスやコーネックス、ノボロイド繊維のカイノールなどで耐熱性を高めた物もある。飛行するごとに気密コーティングや素材の強度が劣化していく。素材により異なるが通算約200?600時間、飛行することができる。


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