熱帯樹
訳題Tropical Tree
作者三島由紀夫
国 日本
言語日本語
ジャンル戯曲
幕数3幕
初出情報
初出「鉢の木会」季刊誌『聲
『熱帯樹』(ねったいじゅ)は、三島由紀夫の戯曲。全3幕から成る。莫大な財産を狙い、息子に夫を殺させることを企む妻と、その計画を知った娘が愛する兄に母を殺させようとする家族の悲劇の物語。愛と憎しみが錯綜する男女関係を描いたギリシア悲劇的なドラマチックな趣の中に、父性愛や母性愛の不在から惹き起される親子・家族関係の崩壊や、人間性の深淵が描かれている。三島の代表的戯曲『サド侯爵夫人』と並んで、ヨーロッパのフランス語圏で最も頻繁に上演されている戯曲である[1]。なお、登場人物の妹には、三島の亡妹・美津子が投影されていると見なされている[2][3][4]。 1960年(昭和35年)1月、雑誌『聲
発表経過
翻訳版は、Kenneth Strong訳(英題:Tropical Tree)をはじめ、フランス(仏題:L’arbre des tropiques)、ポルトガル(葡題:Dozewo tropikow)などで行われている[9]。 『熱帯樹』は、フランスの地方シャトオで実際に起きた事件の話を、三島が朝吹登水子から聞き、そこからヒントを得て書かれたものである[10]。その事件は、シャトオの主の金持貴族と約20年前に結婚した女が、実はその20年間ひたすら良人の財産を狙い、成長した息子に、極くわかりにくい方法で父親を殺させ、やっと長年の宿望を果たし莫大な財産を手に入れていたというものである[10]。三島はその事件の家族内に起った近親相姦について以下のように説明している。貴族との間には一男一女があつた。どこまで計画的にやつたことかしれないが、夫人は息子が年ごろになると、将来彼を一切自分の意のままに使ふために、われとわが子の童貞を奪つた。息子はそれ以後心ならずも母の意のままに動かざるをえぬ自分に絶望して、今度はわが実の妹と関係したのである。 ? 三島由紀夫「『熱帯樹』の成り立ち」[10] そして三島は、この事件を受けての創作動機(モチーフ)について以下のように解説している。かういふことは、人間性からいつて当然起りうる事件ではあるが、実際に起ることはめつたにない。事件は、ギリシア劇の中では、かつてアイスキュロスの『オレステイア』三部作において、アガメムノン、クリュタイメストラ、オレステス、エレクトラ、の一家族の間に起つたのであつたが、それと同じことが現実に、現在ただ今のヨーロッパで起つたといふことは注目に値ひする。この事実はもはや、こんな事件のあらゆる場所あらゆる時における再現の可能性を実証するものだからだ。 ? 三島由紀夫「『熱帯樹』の成り立ち」[10] また、『熱帯樹』で描かれる兄妹の愛について次のように解説している。それはさうと、肉慾にまで高まつた兄妹愛といふものに、私は昔から、もつとも甘美なものを感じ続けて来た。これはおそらく、子供のころ読んだ千夜一夜譚の、第十一夜と第十二夜において語られる、あの墓穴の中で快楽を全うした兄と妹の恋人同士の話から受けた感動が、今日なほ私の心の中に消えずにゐるからにちがひない。 ? 三島由紀夫「『熱帯樹』の成り立ち」[10] 第一幕 - 午後。郁子の病室治らない病でベッドにいる郁子のところへ勇がやって来た。二人は兄妹だが接吻するほど愛し合っていた。郁子は自分が死ぬ前に母親を殺すように、兄に頼んでいた。郁子は母親が一家の財産を一人占めするために家族を全員殺そうと企んでいると思っている。3年前、勇が父親と大げんかした時、母が仲裁するふりをして、さりげなく包丁を勇の手元に置いたことを、郁子は兄から聞いて知っていた。郁子の部屋に入って来た母・律子に向かい、気弱な勇は妹に促されて、その疑問を直接ぶつけてみた。律子は台所仕事のまま何の気なしに置いてしまったことだと否定した。律子は、夫の従妹で同居している信子に向かい、この家の中には郁子と勇が作り出した空想の樹でいっぱいになっているとこぼした。あの子たちはこの家の中に熱帯樹を育てていると言った。信子は、そんな樹は私には見えないと答え、人生ではどんなことでも起り得ると言った。そして、派手好きで自分だけ贅沢な身なりをし、息子の授業料もろくに出さず、娘の洋服も3着しか与えない律子を、軽く非難した。一方、父・恵三郎は妻がいつまでも若く華美でいることを望み、子供たちの心の中を見ようとしなかった。 第二幕 - 薄暮律子は庭に勇を呼び出し、自分と郁子のどちらが好きなのか問い、あなたは郁子よりも私を愛しているのだと宣言した。美しい母に密かに女を見ていた勇の心を、律子は見透かしていた。律子は勇に、父・恵三郎を殺すように命令した。勇から、そのことを聞いた郁子は父・恵三郎に、「この家の中にはお父様を殺そうと狙っている人がいる。お母様にお気をつけあそばせ」と告げる。恵三郎はそれを信じず、勇を疑い、「あいつは母親に惚れすぎている」「両親の仲を割こうと思って、あいつが仕組んだ企みだ」と激昂する。勇を弁護する律子に嫉妬する恵三郎はますます激昂し、勇と言い合いになった。勇は恵三郎に、「この家には家族はなくて、男と女がまつわり合っている。その大本はあなたですよ」と詰った。2人がつかみ合いの喧嘩になろうとしたところへ律子が肉切りナイフを持ってそっと現れる。そこへ郁子も現れて、勇に律子を殺すためのナイフをさし出すが、勇は引き下がり、郁子はその場で失神する。 第三幕 - 深夜信子に介抱された後、ベッドに横たわる郁子のもとへ勇がやって来る。母を殺す決心がついた勇は律子が1人で寝ている部屋へ行った。しかし眠ったふりをした律子は近づいてくる息子の頭を抱いて乳房に押しつけた。勇は母を殺すことができなかった。律子からそのことを聞いた郁子は兄を慰め、兄妹は同衾し結ばれる。信子は従兄・恵三郎に、「あなたは御自分の家の中をさまよい歩く淋しい幽霊だ、あなたは何もかも失いながら、それを御存知ない」と言う。愛し合った郁子と勇は、2人で心中するために、自転車に乗って海へ向った。2人の失踪に気づいた信子は、律子と恵三郎を起こし、「もうすべてが終った」と言い、家から出ていった。恵三郎と2人だけになった律子は、「何もかも終りはしないわ。まだ一つ残っている」とつぶやき、怖ろしい不敵な微笑を見せながら、恵三郎に向かい、「あしたから私、庭に大きな熱帯樹を植えたいと思いますの」と言い、その庭いちめんに蔓延る樹に咲く、真赤なつやつやした、あざやかな花を想像した。
作品成立・主題
あらすじ
1959年の秋の一日
登場人物
郁子
病身の娘。自分の命がもう長くないことを知っている。兄を愛する。
勇
郁子の兄。気弱でやさしい性格。
律子
兄妹の母。華美な身なり。実家は貧しくなった旧家。
恵三郎
兄妹の父。資産家。妻とは20歳以上の差。心臓が弱っている。
信子
恵三郎の従妹。40歳くらいの地味な女。未亡人。死んだ夫の思い出と共に生きている。郁子に好かれている。
作品評価・研究は、「兄妹相姦から心中にすすむ勇と郁子の悲劇が、詩的な台詞にいろどられて原田義人のいう〈アモラルな夢幻的な味わい〉を感じさせる」と評している[11]。