熊谷 貞俊人物情報
生誕 (1945-01-01) 1945年1月1日(79歳)
大阪府豊中市
出身校東京大学工学部卒業
大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了
大阪大学大学院
基礎工学研究科博士課程修了
学問
研究分野非線形システム論他
学位工学博士(大阪大学・1975年)
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熊谷 貞俊(くまがい さだとし、1945年1月1日 - )は、日本の工学者(非線形システム論・離散事象システム論)、政治家。学位は工学博士(大阪大学・1975年)。大阪大学名誉教授、大阪経済法科大学教養部客員教授。
衆議院議員(1期)、国民の生活が第一衆議院議員会長、大阪大学大型計算機センター研究開発部部長、大阪大学大学院工学研究科教授などを歴任。 大阪府豊中市出身。灘中学校・高等学校よりサッカーを始め、東京大学工学部に入学後はア式蹴球部に所属[1]。学生時のサッカーのポジションはLIであった[1]。 東大卒業後は大阪大学大学院基礎工学研究科に入学して修士課程および博士課程を修了した。大阪大学にて助手、助教授、教授などを務めるとともに、大型計算機センター研究開発部の部長などを務めた。また、その間、カリフォルニア大学バークレー校電子工学研究所にも籍を置いた。 2008年1月に行われた大阪府知事選に民主党・国民新党・社民党の推薦で出馬した。選挙戦でのあだ名は、「熊ちゃん」・「大阪のガリレオ」。 民主党の2007年参院選のマニフェストと同様の「府民の生活が第一」を掲げ、以下の四つを重点テーマとした。 具体的な政策としては 自民党や公明党大阪府連の支援を受けた橋下徹に敗れ落選。 熊谷 貞俊 2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で比例近畿ブロックより単独立候補し、当選。 2012年の消費増税をめぐる政局では、6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決で、党の賛成方針に反して反対票を投じた[2][3]。7月2日には山岡賢次らを介して離党届が提出された[4][5][6]。民主党は7月3日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とする方針を決定し[7][8][9][10][11]、7月9日の常任幹事会で正式決定した[12][13][14]。 同年7月11日、国民の生活が第一結党に参加した[15]。12月16日の第46回衆議院議員総選挙に日本未来の党公認で比例近畿ブロックより単独13位で立候補するが落選。 実兄は第12代大阪大学総長、兵庫県立大学学長の熊谷信昭。家族は妻と一男二女。
来歴
生い立ち
大阪府知事選挙「2008年大阪府知事選挙」も参照
行政改革による採取削減
大阪の力
大阪の優しさ
大阪の夢
特別区制定による大阪市の府市二重行政の是正
雇用増加による府民所得の50万円アップ
京阪神大都市圏交通網の整理
大阪都市再生環状道路の整備
新幹線の梅田(大阪駅)乗り入れ
など。
衆議院議員
生年月日1945年1月1日(77歳)
出生地大阪府豊中市
前職大阪大学大学院工学研究科教授
現職大阪経済法科大学教養部客員教授
所属政党(民主党→)
(国民の生活が第一→)
日本未来の党
衆議院議員
選挙区比例近畿ブロック
当選回数1回
在任期間2009年 - 2012年11月16日
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政策・主張
永住外国人の地方参政権に賛成[16]。
朝鮮学校授業料無償化
選択的夫婦別姓制度導入に賛同する[18]。
家族・親族
略歴
1957年3月:豊中市立桜塚小学校卒業
1960年3月:灘中学校卒業
1963年3月:灘高校卒業
1968年3月:東京大学工学部電気学科卒業
1970年3月:大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻修士課程修了
1975年3月:大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻博士課程修了
1975年4月:大阪大学助手
1979年10月:カリフォルニア大学バークレー校電子工学研究所客員研究員