熊谷真菜
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熊谷 真菜(くまがい まな、1961年10月14日 - )は、日本の生活文化研究家、食文化研究家、日本コナモン協会会長、フードマーケティングデザイナー。一般社団法人全日本・食学会理事[1]目次

1 来歴

2 人物

2.1 タコヤキスト(他称)まで

2.2 タコヤキスト熊谷真菜

2.3 コナモン協会設立以後


3 著作

3.1 著書・編著書・監修書

3.2 共著

3.3 現代風俗研究会


4 出演

4.1 テレビ


5 CD

6 脚注

7 外部リンク

来歴

兵庫県西宮市出身。幼少時から、たこ焼きに興味を持ち、大学での卒業論文執筆のため、庶民の味「たこ焼き」の調査を開始。以降十年間のフィールドワークをまとめた著書『たこやき』は、折からの大阪ブームで学会などから高い注目・評価を受けた。現在は生活文化研究家として講演や著述のほかテレビ・ラジオの出演も。日本コナモン協会を設立・運営している。
人物
タコヤキスト(他称)まで

出身の地元西宮では、たこ焼きといえば明石焼き(あかしやき、地元では玉子焼、卵焼きと呼ぶことが多い)のことであった。子どものころ、大阪の屋台で初めてソース味のたこ焼きを食べて驚愕。大阪のたこ焼きと明石焼きの違いに素朴な疑問を感じ、たこ焼きに興味を持つ。これが後年、日本文化・生活文化の研究テーマとして、食文化としてのたこ焼き研究に挑む契機となった[2]

高校時代から、京都学派の拠点のひとつでもある社団法人現代風俗研究会[3](1976年9月発足、初代会長・桑原武夫)に所属していた。立命館大学在学中も同研究会の桑原武夫、多田道太郎鶴見俊輔らによる刺激や励ましを受け、たこ焼き研究を志すことになった(熊谷は後年、多田道太郎を恩師と呼んでいる)。現代風俗研究会では大学在学中から事務局を担当。

それまで、たこ焼きについての本格的な研究はなされていなかったため、文献・資料などはほとんどなく、地道なフィールドワーク・取材をこなし、立命館大学産業社会学部の卒業論文「現代食事文化論-大阪文化としてのたこやきとその象徴的意味論のための一考察」をまとめる。

同志社大学大学院に進学し、同時に結婚(23歳)。代用食(つまり粉食など)を研究テーマに、たこ焼きを選んで研究を進め、1993年に十年間のフィールドワークをまとめた著書『たこやき』をリブロポートから出版。

この1993年には、東京都渋谷区を中心に『京たこ』騒動(渋谷公園通りのたこ焼き屋「京たこ」・「京風たこ焼き亭」などによる、俗に「渋谷たこ焼き戦争」と呼ばれる争い)を震源とする全国的なたこ焼きブームが起きた。また、翌年の関西空港開港で大阪は全国から注目を浴びており、大阪ブームに火がつくころでもあった。時期的な幸運もあって、著書『たこやき』は各界から注目され、評判を呼んだ。さらに、本格的な粉食(粉物、コナモン)文化研究、たこ焼き研究の本として、著書『たこやき』は現代風俗研究会で橋本峰雄賞を受賞。
タコヤキスト熊谷真菜

築地銀だこ」など大手たこ焼きチェーン店(フランチャイズ店)が続々と誕生し、また冷凍たこ焼きなどの販売も盛んとなったため、執筆、講演、シンポジウムのパネリスト依頼などが相次ぎ、各地のたこ焼きやコナモン料理を食べ歩くかたわら、それら依頼をこなした。また1995年には、自ら作詞作曲した『たこやき音頭』など、たこ焼きの曲ばかりを集めた CD アルバム『たこやき』[4]を発表して話題を呼ぶ。また、自らをタコヤキストと称し[5]ウェブサイト「たこやき研究家 熊谷真菜のページ」を立ち上げた。
コナモン協会設立以後

熊谷真菜は2002年10月ごろ日本コナモン協会設立を思い立ち、準備を開始。設立動機として、後に、友人から「なぜ大阪にたこ焼き博物館がないのでしょうか」とのメールを受け取ったからだと明かしている。2003年3月7日、コナを挽く・練る・加熱のプロセスを知るための、子ども連れの家族にも楽しめる協会設立記念プレ・イベント「親子でたこ焼き塾?粉を挽くところからはじめよう」(第一回ワークショップ)を大阪市中央区のキリンプラザ大阪で開催。同時に語呂合わせで5月7日を「コナモンの日」とし、日本記念日協会(長野県佐久市)に記念日としての認定を受けた。5月7日には東京都豊島区東池袋の speakeasy (スピーキージー)において記念イベントを催し、この日を協会の発足日とした[6]。協会の役員には、大阪大学浪花文化研究会顧問の阿部未奈子[7]を副会長とし、民族学者石毛直道のほか民俗学者、料理研究家、料理評論家、文化プロデューサー、編集者医者など、文化人、学者、業界関係者を理事に据えている[8]

9月1日に協会公式サイトを立ち上げ、12月22日に専用掲示板 (BBS)「こなもん食堂」(現・コナモン掲示板[9])を開設。熊谷は「『偉大なるコナモン』の魅力を“オモシロまじめ”に考える民間道楽団体」と称し、協会を、関西のみならず信州の「お焼き」や大分の「団子汁」など郷土料理にまで手を広げて研究し、粉食文化を振興する拠点とした。

協会の設立と並行して、2003年9月には『大阪たこ焼33ヵ所めぐり』(2003年度版)を会社設立間もない西日本出版社(社長・内山正之)から出版。単なるたこ焼き屋の紹介ではなく、たこ焼き屋の立地条件、店の経営者のプロフィールなどを丹念に辿りつつ、たこ焼き文化から、たこ焼きの歴史まで目配りし、また巡礼になぞらえた遊び心のある本にまとめ、熊谷真菜二十年間の取材を集大成したものとなった。発売直後の週は、大阪駅・紀伊国屋書店梅田本店で、単行本全体で11位、実用書部門で1位となるなど、売れ行きは好調であった。熊谷のたこ焼き取材歴は20年をこえ、協会設立三年後に大阪で世界コナモン博覧会を、そして設立十年後にはコナモンミュージアム設立に向けた活動を宣言した。

2004年3月4日、道頓堀のキリンプラザ大阪で日本コナモン協会第一回総会を開催。2005年には世界コナモン博覧会ではなく、「日本全国コナモンまつり2005」と題したイベントを大阪・なんばグランド花月前で開催[10]。さらに同協会主催で2006年4月、コナモンの可能性を広げるため、高校生を対象に創作料理のレシピを競う「高校生創作コナモンバトル」を開催し、グランプリ(最優秀作)は長野県須坂高校リンゴ蕎麦がきでくるんで揚げてつくる「産地直送! もぎたてりんご」に決定。大阪府吹田市千里万博公園にある「大阪ガス 生活誕生館ディリパ」にて開催した「日本全国コナモンまつり2006」会場でお披露目会を行なった。今回のまつりでは、パフォーマンスなどを演じるステージと、パンやお好み焼きなどの体験コーナーや、試食コーナーなどを設けている。また2006年のコナモンまつり開催にあわせ、5月から協会公式サイトを拡充するリニューアルを実施、日録『コナモン日記』を個人サイトから日本コナモン協会公式サイトへと移動した。ラーメン連、鉄板連、など協会認定「連」も少しずつ増え、公式サイトを持つ連も登場している。
著作
著書・編著書・監修書

1993年6月 『たこやき』リブロポート
ISBN 4-8457-0828-0

1996年1月 『たこやきの正しい食べ方』(『ゴマブックス』)、ごま書房、ISBN 4-341-01701-2

1998年5月 『たこやき 大阪発おいしい粉物大研究』(『講談社文庫』)、講談社、ISBN 4-06-263800-2

リブロポート1993年刊の増補


1998年11月 熊谷真菜監修『大阪新発見散歩』(『旅の森』)、昭文社、ISBN 4-398-13187-6

2000年9月 熊谷真菜著、シノハラガク絵『たこやきのナゾ』草土文化、ISBN 4-7945-0799-2


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