くまがい たくぞう
熊谷 卓三
本名熊谷 義一
別名義熊谷 二良(くまがい じろう)
生年月日 (1906-11-03) 1906年11月3日
没年月日不詳年
出生地 日本 長野県
職業俳優
ジャンル劇映画(時代劇・現代劇、特撮映画、トーキー)、テレビドラマ
活動期間1937年 - 1980年代
配偶者熊谷孝子
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熊谷 卓三[出典 1](くまがい たくぞう、(1906年〈明治39年〉11月3日[出典 2] - 没年不詳)は、日本の俳優。本名は熊谷 義一。旧芸名は熊谷 二良(くまがい じろう)[出典 3]。長野県出身[出典 2]。 東宝の専属俳優で、ジャンルを問わず数多くの映画に出演しているが、特に本多猪四郎率いる本多組の常連で、一般、特撮作品合わせて20作以上に出演している。会社や防衛隊の重役、幹部役が多く、会議シーンでの出演頻度が高い[3]。 東宝移籍前は、極東映画古市撮影所に所属。同社がピー・シー・エル映画製作所(後の東宝)に、合併されるのに伴い、極東キネマ脚本部勤務の妻・孝子(旧姓井上、幼少時は一時圭子と名乗っていた)とともに帰京し、東宝スタジオの演技課(孝子は厚生課)に所属することになる。 1963年までは熊谷 二良の名で活動していた。このころ以降からテレビドラマにも頻繁に出演している。 住まいは、撮影所から3分ほどの場所にあった、東宝の元独身寮・東宝荘。 厚生課へは、当時、円谷英二特技監督などもよく訪れて、一服しながら「今にすごいのをやるよ」と言っていたという。 既に故人であるが、没年と死因などは判明していない。
人物・略歴
主な出演作品
映画
後藤又兵衛(1940年、極東キネマ) - 藤堂和泉守
翼の凱歌(1942年) - 通信兵
音楽大進軍(1943年) - 守衛
姿三四郎(1944年) - 修道館門弟[注釈 1]
銀嶺の果て(1947年) - 木こり[注釈 1]
第二の人生(1948年) - 社会実業家
斬られの仙太(1949年) - 喜造
四十八人目の男(1952年) - 吉良の侍
生きる(1952年) - 消防署員[注釈 1]
戦国無頼(1952年)
夫婦(1953年)
太平洋の鷲(1953年) - 機関参謀[5]
七人の侍(1954年) - 儀作の息子
晩菊(1954年)
幽霊男(1954年)
宮本武蔵シリーズ
宮本武蔵(1954年) - 村人
決闘巌流島(1956年)
ゴジラシリーズ
ゴジラ(1954年) - 防衛次官[4][3][注釈 2][注釈 1]
ゴジラの逆襲(1955年) - 北海丸船長[6]
キングコング対ゴジラ(1962年) - 警察幹部[7]
モスラ対ゴジラ(1964年) - 漁民E[5]
三大怪獣 地球最大の決戦(1964年) - 国務大臣[8]
怪獣大戦争(1965年) - 移動司令官補[9]
怪獣総進撃(1968年) - @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}統合防衛司令部将校、記者 [2役][注釈 1][要出典]
ゴジラ対メカゴジラ(1974年) - 海洋博工事現場作業員
メカゴジラの逆襲(1975年) - 防衛隊幹部
透明人間(1954年) - 塚田[10]
獣人雪男(1955年) - 警官[11]
生きものの記録(1955年) - 精神科看護士[注釈 1]
歌え!青春 はりきり娘(1955年) - 怪漢(警官)
吸血蛾(1956年) - 村上刑事
囚人船(1956年) - 海上刑務所看守長
サザエさん(1956年) - 医者
空の大怪獣 ラドン(1956年) - メガヌロンに殺される巡査・田代[出典 3]
柳生武芸帳(1957年) - 弓削三太夫
あらくれ(1957年) - 職人
東北の神武たち(1957年) - 双児の父
どん底(1957年) - 町人[注釈 1]
地球防衛軍(1957年) - 井藤一佐[12]
わが胸に虹は消えず(1957年) - 医者
無法松の一生(1958年) - 人足乙
変身人間シリーズ
美女と液体人間(1958年) - 作戦本部次長[13]
電送人間(1960年) - 見物客の男[5]
ガス人間?1号(1960年) - 梶本[5]
マタンゴ(1963年) - 医師A[出典 4]
大怪獣バラン(1958年) - 自衛隊幹部[15]
裸の大将(1958年) - 取り調べの巡査
隠し砦の三悪人(1958年) - 山名の足軽
社長シリーズ
続・社長太平記(1959年)
社長漫遊記(1963年)
鉄腕投手 稲尾物語(1959年) - 医師
上役・下役・ご同役(1959年) - 谷川勇作
宇宙大戦争(1959年) - 陸将[5]