熊本日日新聞
本社
種類日刊紙、地方紙
サイズブランケット判
事業者株式会社 熊本日日新聞社
本社〒860-8506
熊本県熊本市中央区世安1-5-1
代表者河村邦比児(代表取締役社長)
創刊1942年(昭和17年)4月1日
前身九州日日新聞
九州新聞
言語日本語
価格1部 180円
月極 4,000円
発行数21万5510部(2023年下半期、日本ABC協会調べ)
ウェブサイトhttps://kumanichi.com/
熊本日日新聞(くまもとにちにちしんぶん)は、株式会社熊本日日新聞社が発行する熊本県の地方紙である。朝刊と電子版を発行しており、夕刊は2021年9月を以って廃止した[1]。発行部数は215,510部(2023年下半期、日本ABC協会調べ)。
グループ会社として株式会社熊日広告社、熊日サービス開発株式会社、株式会社熊日メディアコム、株式会社熊日物流販売、熊日総合保険株式会社、株式会社熊日デジタル、株式会社熊日会館がある[2]。
系列放送局である熊本放送(RKK)を含め、熊本の民放テレビ・ラジオ各局で自社のCMをよく流している。
歴史
九州日日新聞詳細は「紫溟会」を参照
1882年(明治15年)
3月:『紫溟雑誌』を20ページ、月3回発行で創刊(同年12月廃刊)。
8月7日:『紫溟新報』を4ページで創刊(発行形態は不詳)。
1883年(明治15年)1月:『紫溟新報』が日刊紙へ移行。
1888年(明治21年)10月9日:『紫溟新報』を『九州日日新聞』に改題。
1906年(明治39年)1月:元旦号で初めて写真版を掲載。
九州新聞
1906年(明治39年)2月1日:『九州実業新聞』として創刊。
1910年(明治43年)8月1日:『九州実業新聞』を『九州新聞』に改題。
熊本日日新聞
1942年(昭和17年)4月1日:第二次世界大戦下の「一県一紙令」により、熊本の2大紙であった『九州日日新聞』(旧立憲民政党系)と『九州新聞』(旧政友会系)が合併して『熊本日日新聞』が朝夕刊セットで創刊。
1944年(昭和19年)3月6日:夕刊を廃止。
1948年(昭和23年)12月4日:『熊日こども新聞』創刊(1950年12月4日に廃刊)。
1949年(昭和24年)10月10日:『夕刊くまもと』創刊(夕刊が復活)。
1951年(昭和26年)7月1日:『夕刊くまもと』を統合し、朝夕刊セット制が復活。
1953年(昭和28年)
6月26日:熊本市内の「白川大水害」で本社の輪転機が使用不能になり、鹿児島市の南日本新聞社に印刷委託(1953年7月5日夕刊から本社の輪転機が復旧)。
10月1日:「ラジオ熊本」(現・熊本放送)開局。
1954年(昭和29年)8月1日:「猫てんかんで死滅 ネズミの激増で悲鳴」の見出しで水俣病を初めて報道。
1973年(昭和48年)11月29日:熊本市で大洋デパート火災発生。犠牲者全員の顔写真を唯一掲載。
1980年(昭和55年)10月1日:鉛製活字を使わない電算写植による新聞製作システム(CTS)スタート。
1981年(昭和56年)10月29日:熊本市世安町に「熊日製作センター」完成。CTSによる新聞製作システムに完全移行。
1982年(昭和57年)3月22日:編集機能を熊本市上通町から世安町の製作センターに移転。
1987年(昭和62年)10月1日:世安町の製作センター敷地内(旧・熊本南警察署庁舎)に日本初の「新聞博物館」を開設[3]。
1999年(平成11年)7月:本社機能を世安町に全面移転。
2002年(平成14年)3月29日:上通町の旧本社跡地に再開発ビル「びぷれす熊日会館」完成。ホテル日航熊本や熊本市現代美術館などが入居している。
2008年(平成20年)12月8日:夕刊に2006年(平成18年)11月から2008年(平成20年)10月にかけて掲載された医療特集「ピックUP」のうち、記事の一部がNHK出版が発行する番組テキスト『きょうの健康』からの転用だったことが発覚し、記事を執筆した50代の男性編集委員を部次長・総務局付に降格させた。
2010年(平成22年)4月:「すぱいす*spice」と「あれんじ」を創刊。
2011年(平成23年)7月1日:マスコットキャラクター「ぷれすけ」を発表。