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熊本市交通局
Kumamoto City Transportation Bureau熊本市交通局大江庁舎と超低床電車0800型
種類地方公営企業
略称熊本市電、市電、
熊本市営バス(市営バス、市バス)は2015年3月31日付けで廃止。
本社所在地 日本
〒862-0971
熊本県熊本市中央区大江五丁目1番40号
設立1921年11月16日
業種陸運業
事業内容路面電車
外部リンク ⇒http://www.kotsu-kumamoto.jp/
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熊本市交通局(くまもとし こうつうきょく)は、日本の熊本県熊本市で公共交通事業を行う熊本市の地方公営企業の一つで、熊本市電(路面電車)を運営している。交通局庁舎は熊本市中央区大江5丁目に所在する。
かつては熊本市営バス(くまもとしえいバス)として公営バス(乗合バス事業)も運営していたが、2015年(平成27年)3月31日をもって廃止され[1]、熊本都市バスに移管された。
熊本市電についても2025年度に上下分離方式を導入することを決定しており、2024年度に熊本市交通局を廃止し、2025年(令和7年)4月から熊本市に車両や軌道の管理を担う部署を新設することになっている[2]。熊本市電の運行は熊本市が出資する一般財団法人に移行する[2]。
歴史1956年頃の熊本市電・バス路線図。徳王-大窪間は北部村を通過する
熊本市内の交通機関としては、明治末期より大日本軌道が運行されていたが、蒸気軌道のため評判はよくなかった。市民から電車化の要望が出てくるようになり、市当局では1917年(大正6年)に「電車期成会」を結成し、翌年には同じ九州で当時既に電車が運行されていた福岡、長崎、久留米、鹿児島の各都市へ視察団を派遣した。こうした結果を踏まえ、熊本市では大日本軌道と電車化についての交渉をすることとなった。大日本軌道側も電車化を受け入れたが、結局実現はみることはなかった。そこで熊本市では審議の結果、電気会社(電力会社)の熊本電気に対し、軌道事業の兼営を提案することになった[3]。交渉の結果、熊本電気も条件付きで受け入れることになり、1920年(大正9年)仮契約を結ぶことになった。しかし、この年の不況により計画は中断してしまう。
その後、熊本電気は新会社を設立して軌道事業を経営するという提案をした。熊本市もこれを了承し、1921年(大正10年)11月に軌道敷設特許状が下付されるのを待って、熊本電車株式会社が設立された。ところがこの頃から、市民の間からは電車市営の要望が出されるようになる。1922年(大正11年)には新市長が誕生したことにより、市営化の方針となり、軌道特許敷設権は熊本市へ譲渡されることとなった[4]。
熊本市では第一期工事として、幹線と水前寺線を選定した。その建設費は起債によることとして、1923年(大正12年)3月に許可を得た。そして5月から用地買収に取り掛かった。幹線は熊本駅前を起点とする市の中心部を貫通する道路であるが、道幅は狭く、幅員を10間ないし12間に拡張することになった。幸い家屋移転は順調に進み、10月には起工式を挙げ、1924年(大正13年)8月1日に開通した。
第二期工事(春竹線、上熊本線、黒髪線〈子飼橋線〉)については、1926年(大正15年)6月16日に市議会において可決され、工事施工及び起債発行の申請が1927年(昭和2年)4月及び7月に認可となったため、1928年(昭和3年)より用地買収と工事にかかり、1928年(昭和3年)12月に黒髪線が開通。1929年(昭和4年)6月に春竹線辛島町 - 春竹間および上熊本線辛島町 - 段山町間が開通した。上熊本線段山町 - 上熊本駅前間は藤崎台にある陸軍練兵場の堀鑿や井芹川の改修工事、耕地整理事業の関係で着工が遅れていた。市では1935年(昭和10年)3月の熊本大博覧会の開催までには開通するべく昼夜工事を敢行し、博覧会開催の前日の1935年(昭和10年)3月24日に開通することができた。
熊本市内には熊本市のほか、熊本電気軌道が運営する路面電車路線もあったが、1945年に熊本市は熊本電気軌道を買収した。 2023年(令和5年)3月7日、熊本市議会都市整備委員会で市交通局は「上下分離方式」の導入に伴い、2024年度に交通局を廃止する方針を示した[2]。上下分離方式の導入に伴い、市電の運行は熊本市が出資する一般財団法人に移行し、熊本市は2025年4月に車両や軌道の管理を担う部署を新設することになっている[2]。 熊本市交通局の運転士ら111人については熊本市が出資する一般財団法人の正規職員として採用する方針で、事務職や技工職の正規職員84人は熊本市から法人への出向という形を取る[2]。
上下分離方式へ
年表
20世紀前半大正期の熊本駅前と熊本市電軌道緑化された通町筋電停の市電と熊本城1954年頃のトレーラーバス
1921年(大正10年)
11月14日 - 熊本電車に対して軌道特許状下付[5]。
11月16日 - 熊本電車株式会社を設立。
1923年(大正12年)4月13日 - 熊本電車は予定線の特許などの全権利義務を熊本市へ譲渡し[6]、のちに解散。
1924年(大正13年)8月1日 - 幹線熊本駅前 - 浄行寺町間および水前寺線水道町 - 水前寺間が開通。当初の事業者は熊本市電車部。
1926年(大正15年)5月11日 - 水道部と統合して電気水道局に改組。
1927年(昭和2年)11月23日 - バス事業開始。当時は熊本市外であった健軍村、龍田村への乗り入れも行われた[7]。