熊川哲也
[Wikipedia|▼Menu]

くまかわ てつや
熊川 哲也
生誕 (1972-03-05)
1972年3月5日(52歳)
日本 北海道旭川市
国籍日本
出身校ロイヤル・バレエ学校
職業バレエダンサー、芸術監督、演出・振付家、バレエ団経営者
団体K-BALLET TOKYO
代表作「ドン・キホーテ」「海賊」「白鳥の湖」「クレオパトラ」「マダム・バタフライ」
受賞ローザンヌ国際バレエコンクール金賞、朝日舞台芸術賞、毎日芸術賞特別賞 ほか多数
栄誉紫綬褒章受章
公式サイトhttps://www.k-ballet.co.jp/tetsuya_kumakawa
テンプレートを表示

熊川 哲也(くまかわ てつや、1972年3月5日 - )は、日本北海道旭川市出身[1][2]バレエダンサー・振付家・演出家である。英国ロイヤル・バレエ団の元プリンシパル。1999年Kバレエカンパニー(現 K-BALLET TOKYO)を創立し、芸術監督を務める。2003年より ⇒Kバレエスクール主宰。2012年よりBunkamura オーチャードホール芸術監督。独身。
略歴

北海道旭川市出身[1][2]。10歳でバレエを始める[3]

1986年昭和61年)、14歳のときに参加した札幌の講習会で、世界的名バレエ教師のハンス・マイスターにその才能を認められ、翌1987年(昭和62年)9月英国ロイヤルバレエ学校アッパークラスに留学[4][5]。在学中の1988年昭和63年)、ソ連レニングラード・ワガノワバレエ学校創立250年祭に英国代表として出演、日本人で初めてマリインスキー劇場で踊る[6]。翌年には、第17回ローザンヌ国際バレエコンクールに出場、日本人初のゴールドメダルを受賞し[3]、世界中から脚光を浴びる[注 1][注 2]。同年、パリでヨーロピアン・ヤングダンサーズ・オブ・ザ・イヤーに英国代表として出場、金賞を受賞[7]

1989年平成元年)2月、英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団し[8][9]、同年7月にバレエ団最年少(17歳)でソリストに昇進[10]。12月にはケネス・マクミランの新作『パゴダの王子』の道化役に抜擢される[11]1991年、マクミラン振付『ダンセズ・コンチェルタンセス』で初主演、ファースト・ソリストに昇格[12]、第4回グローバル賞受賞。1992年、フレデリック・アシュトン振付『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』で全幕主演デビュー。怪我したダンサーの代役でわずか4日で振りを覚え『ラ・バヤデール』のソロルを踊り成功を納める。1993年(平成5年)5月にプリンシパルに昇格[8][13]。天性の体のバネを生かした、滞空時間の長い跳躍と切れ味鋭い回転が持ち味で、ミハイル・バリシニコフ版『ドン・キホーテ』のバジルは各方面で絶賛される。英国チャールズ皇太子(のちのチャールズ3世)主催『チャイコフスキー没後100年記念ガラ・コンサート』出演。1995年、トワイラ・サープ振付『ミスター・ワードリー・ワイズ』マスター・ブリング・ザ・バッグを初演。

1996年には、「ローザンヌ国際バレエコンクール」審査員を務める。ロイヤル・バレエ団の男性プリンシパル4人とともに、初のセルフプロデュース公演「メイド・イン・ロンドン」を日本で行い成功させる[14][15]。1997年、ボリショイ・バレエ日本公演『ジゼル』に主役アルブレヒトで客演。新国立劇場開場記念公演『眠れる森の美女』で主役デジレ王子を踊る。1998年、渋谷BunkamuraオーチャードホールでのドンボスコチャリティーステージVol.3『男五人の華麗な企み』出演。英国ロイヤル・バレエ団には約10年間在籍し、世界各国の舞台で踊る。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:132 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef