熊胆(ゆうたん)は、クマ由来の動物性の生薬のこと。熊の胆(くまのい)ともいう。古来より中国で用いられ、日本では飛鳥時代から利用されているとされ、材料は、クマの胆嚢(たんのう)であり、乾燥させて造られる。健胃効果や利胆作用など消化器系全般の薬として用いられる。苦みが強い。漢方薬の原料にもなる。「熊胆丸」(ゆうたんがん)、「熊胆圓」(ゆうたんえん:熊胆円、熊膽圓)がしられる[1]。
古くからアイヌ民族の間でも珍重され、胆嚢を挟んで干す専用の道具(ニンケティェプ)がある。東北のマタギにも同様の道具がある[2][3][4]。
※熊胆(胆汁)を採取する畜産業は「熊農場」を参照。目次 熊胆の効能や用法は中国から日本に伝えられ、飛鳥時代から利用され始めたとされる熊の胆は、奈良時代には越中で「調」(税の一種)として収められてもいた。江戸時代になると処方薬として一般に広がり、東北の諸藩では熊胆の公定価格を定めたり、秋田藩では薬として販売することに力を入れていたという。熊胆は他の動物胆
1 日本の熊胆の歴史
1.1 クマノイの方言
1.2 クマ由来の民間薬
2 成分
3 日本での入手方法
4 日本国内における規制
5 海外取引における規制
6 その他
6.1 代替医薬品
7 関連項目
8 脚注
9 外部リンク
日本の熊胆の歴史
熊胆配合薬は、鎌倉時代から明治期までに、「奇応丸」、「反魂丹」、「救命丸」、「六神丸」などと色々と作られていた(現代は、熊胆から処方を代えている場合がある。理由は後述)。また、富山では江戸時代から「富山の薬売り」が熊胆とその含有薬を売り歩いた[6]。
北海道先住民のアイヌにとってもヒグマから取れる熊胆や熊脂(ゆうし)などは欠かせない薬であった。和人の支配下に置かれてからは、ヒグマが捕獲されると松前藩の役人が毛皮と熊胆に封印し、毛皮は武将の陣羽織となり、熊胆は内地に運ばれた。アイヌに残るのは肉だけであった。熊胆は、仲買人の手を経て薬種商に流れ、松前藩を大いに潤した。明治期になっても、アイヌが捕獲したヒグマの熊胆は貴重な製薬原料とされた。[7]
昔から知られる熊胆の鑑定法、昔から知られる効能は、『一本堂薬選』[8]に詳しい。 青森津軽地方でも、西目屋村の目屋マタギは「ユウタン」、鰺ヶ沢町赤石川流域の赤石マタギは「カケカラ」と呼んだ[9]。 熊胆に限らず、クマは体の部位の至る所が薬用とされ、頭骨や血液、腸内の糞までもが利用されていた[10]。 主成分は胆汁酸代謝物のタウロウルソデオキシコール酸 (TUDCA[11]) である。漢方薬として熊胆が珍重されている。 UDCAの他、各種胆汁酸代謝物やコレステロールなどが含まれている。 約20%の胆汁酸(ウルソデオキシコール酸、ケノデオキシコル酸、コール酸、デオキシコール酸、ヒヨデオキシコール酸 古来、日本は熊胆を利用しつつもクマの個体数が維持されており、世界的にみても珍しい[7]。 狩猟以外の場合は、通常、熊胆本体品は漢方薬局
クマノイの方言
クマ由来の民間薬
成分 ウルソデオキシコール酸の構造式
日本での入手方法
熊胆製品の形状は「熊胆原形」、「熊胆粉」、「熊胆配合製剤」などとなっており、配合製剤はドラッグストアなどでも売られている。 日本薬局方においては、「Ursus arctos Linne 又はその他近縁動物(Ursidae)の胆汁を乾燥したもの」がユウタンと定義され[13]、日本国内ではエゾヒグマとニホンツキノワグマが用いられている。
日本国内における規制