焼酎
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この項目では、日本の焼酎について説明しています。韓国焼酎については「ソジュ」をご覧ください。
焼酎

焼酎(しょうちゅう)は、日本蒸留酒[1][2]。原料の違いで、米焼酎麦焼酎芋焼酎黒糖焼酎粕取り焼酎そば焼酎栗焼酎泡盛など様々な種類がある。

日本で16世紀から製造され、1559年の大工が残した落書きが最古の記録とされている。17世紀後半より『童蒙酒造記』といった文献に残され、各地で製造された。南九州宮崎県鹿児島県熊本県南部)を中心に製造が盛んである[3]。また、長崎県壱岐東京都伊豆諸島沖縄県など、島嶼でも焼酎が製造されている[4][5]。現代では海外にも輸出されている[6]。現代の日本で製造される焼酎のアルコール度数は25%が多いが、第二次世界大戦直後に20%以下の酒税率を低くして密造焼酎の淘汰を図る政策をとった影響で20%の製品もある[7]

「酎」が2010年まで常用漢字に含まれていなかったため、法令その他の政府文書では「しょうちゅう」あるいは「しようちゆう」と平仮名表記になっていた。

かつては暑気払いに飲まれていたことから、(三夏)の季語である。
歴史郡山八幡神社の焼酎落書き[8][9]

日本の焼酎の起源は正確には分かっていないが、比較的有力な説は、シャム(現在のタイ王国)の蒸留酒ラオロンが琉球経由でもたらされたとするものである[注釈 1][10][11]の陳侃による『使琉球録』(1534年)に「南蛮(南番)酒」のことが記されており、この南蛮酒は暹羅(タイ)から琉球へもたらされたものであり、醸法は中国の露酒であると記されている[12]。露酒とは中国の蒸留酒のことである[13]

日本国内では文献記録で確認できる限り、少なくとも16世紀頃から焼酎が造られていたと見られている。例えば1546年薩摩国に上陸したポルトガルの商人ジョルジェ・アルバレス(フランシスコ・ザビエルヤジロウを紹介し訪日を促した人物)は、当時の日本人が米から作る蒸留酒(原文ではorraqua;オラーカ=アラビア語のアラクに由来するポルトガル語)を常飲していたことを記録に残している[14]

また、鹿児島県伊佐市郡山八幡神社には、永禄2年(1559年)に補修が行われた際に大工が残した「けちな座主(施主)で、一度も焼酎をふるまってくれず、ガッカリした」という内容の落書きが1954年の解体修理で発見されており、焼酎の飲用と「焼酎」の呼称について日本国内に残存する最も古い文章となっている[8][9]

17世紀後半以降、『童蒙酒造記』『万金産業袋』などいくつもの文書に焼酎の製造法が記されている。それらから当時の焼酎は基本的に酒粕か変敗酒(品質劣化した清酒)を原料に、全国各地で作られていたことが分かる。また、粕取焼酎(かす取り焼酎)作りと稲作には密接な関係があり、酒粕は良い肥料となるが、そのままではアルコール濃度が高く使えないため、農民たちは酒粕を蒸留してアルコールを抽出した後に残った粕を肥料にした[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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