『焼き場に立つ少年』(やきばにたつしょうねん、英: The Boy Standing by the Crematory[1] ; The Boy of Cremation Site[2])は、アメリカ合衆国のカメラマン、ジョー・オダネルが1945年に撮影したとされる写真である[3][4][5][6]。写真の原題は「焼き場にて、長崎、1945年」(英: Cremation Site, Nagasaki 1945)[7]。 10歳くらいと思われる少年が、口を固く結びながらまっすぐに立っており、視線をまっすぐ前に向けている[6]。少年は、目を閉じた幼児を背負っている。この幼児は少年の弟で、すでに息を引き取っており、少年は火葬の順番を待っているものとされる[6][8]。 被写体の少年の身元は、2023年現在も明らかになっていない[9]。この写真が撮影された時期について、美術史研究家の吉岡栄二郎 1945年、オダネルが川岸の火葬場において『焼き場に立つ少年』を撮影する[11]。1946年、帰米後、オダネルは『焼き場に立つ少年』を含む写真フィルムをトランクの中にしまい込み、封印する[14][11]。1989年、アメリカ国内で反核運動が展開される中、オダネルは、ケンタッキー州にある教会において、原爆による被爆者の像を目にし、核の恐怖を伝えていく決意を固め、およそ43年ぶりにトランクを開ける[14][11][6]。 2007年7月、長崎県美術館で催された展示会で、『焼き場に立つ少年』が特別展示される[11][6]。同年10月、『焼き場に立つ少年』が長崎市に寄贈され、長崎原爆資料館に展示される[11][6]。2017年の年末、ローマ教皇のフランシスコが、この写真を印刷したカードを、署名と「戦争がもたらすもの」という言葉を添えて、世界の教会に配布するように指示を出す[8][6]。
概要
由来
脚注[脚注の使い方]^ “Pope urges abolition of nuclear weapons at Japan's ground zeros”
^ 『『焼き場に立つ少年』は何処へ』 2017.
^ “ ⇒長崎市へのご意見・ご提案等の紹介”. 長崎市 (2018年1月). 2019年11月30日閲覧。
^ “「焼き場に立つ少年」写真を撮った人の息子にローマ教皇が会う”. 日本放送協会. (2019年11月26日). https://www3.nhk.or.jp/news/easy/k10012189231000/k10012189231000.html 2019年11月30日閲覧。
^ “お母さんに会えたのかい 原爆の地に立つ少年”. 日本放送協会. (2019年8月9日). https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_22.html 2019年11月30日閲覧。
^ a b c d e f g “ローマ教皇 「焼き場に立つ少年」の写真家の家族にあいさつ”. 日本放送協会. (2019年11月24日). https://web.archive.org/web/20191124040318/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189231000.html 2019年11月30日閲覧。
^ 『『焼き場に立つ少年』は何処へ』 2017, p. 2.
^ a b “ローマ教皇来日記念 ジョー・オダネル写真展「戦争がもたらすもの」 開催中です”. 上智大学 (2019年11月18日). 2019年11月30日閲覧。
^ a b c “「焼き場に立つ少年」の写真は“裏焼き”か 原爆投下の長崎”. 日本放送協会 (2019年6月27日). 2019年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月19日閲覧。
^ 『『焼き場に立つ少年』は何処へ』 2017, p. 49.
^ a b c d e f 『『焼き場に立つ少年』は何処へ』 2017, 「ジョー・オダネル 年譜」.