この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "?" アルバム
『?』
U2 の スタジオ・アルバム
リリース1984年10月1日
録音スレーン城
ウィンドミルレーン・スタジオ,ダブリン,1984年
ジャンルロック
時間42分19秒
レーベルアイランド・レコード
プロデュースブライアン・イーノ
ダニエル・ラノワ
専門評論家によるレビュー
Allmusic ⇒link
Rolling Stone ⇒link
チャート最高順位
全英1位
全米12位
U2 アルバム 年表
ブラッド・レッド・スカイ=四騎=
(1983年)?
(1984年)ヨシュア・トゥリー
(1987年)
テンプレートを表示
『?』(ほのお、The Unforgettable Fire)は、アイルランドのロックバンド、U2のアルバムである。 Warツアー終了時、ボノは「U2はここで一旦解散し、もう一度同じメンバーで再結成する」と語った。[1]ということで今度こそ脱スティーヴ・リリーホワイトを図ったU2は新しいプロデューサー探しに奔走。『Under a Blood Red Sky』を手掛けたジミー・アイオヴィーン、CanやKraftwerkを手掛けたコニー・プランク、Roxy Musicを手掛けたレット・デイビースなどが候補に挙がったが、最終的に『War』の時にも候補に挙がっていて断れらたブライアン・イーノに絞られた。エッジが彼のアンビエント作品のファンだったのだ[2](なおこの時点で既に「Pride (In the Name of Love)」「The Unforgettable Fire」「A Sort of Homecoming」はほぼ完成していた)。 U2から依頼を受けたイーノはダニエル・ラノワを連れ、彼にプロデュースを任せてキャリアアップを図ってやる魂胆でてダブリンを訪れたところ、すっかりボノに丸め込まれ、2人してプロデュースを引き受けることになった。[3] 水と油に思えたこの組み合わせは音楽業界に衝撃を与え、アイランド・レコード社長クリス・ブラックウェルは、前衛的なミュージシャンが折角売れかけているバンドを破壊してしまうのではないかと恐れ、強硬に反対した[2]。 そしてスレーン城にメンバー・スタッフ一同泊まり込み、約1ヶ月間寝食を共にして作り上げ、ウィンドミル・レーン・スタジオで仕上げを行って完成したたアルバムは、エッジのギターがバンドサウンドの中心ではなく一部になっとも評される、これまでとは一味違うアンビエント風の作品だった。メンバーもこの路線には半信半疑だったが、制作途中のアルバムを聴かされたリリリーホワイトは、「Prideがある限り君たちは大丈夫だ」と彼らを励ました。[2] 原題のThe Unforgettable Fire(忘れざる炎)とは、広島・長崎への原爆投下を生きのびた被爆者達が描いた絵画のタイトル。アメリカライブツアー中、シカゴのピース・ミュージアムでこれらを見たU2のメンバーは感銘を受け、ニューアルバムのタイトルに取り入れた。[2]シングルカット曲としては、代表曲のひとつとしてライブの定番にもなる「プライド」が有名である。この曲と「7月4日」、「MLK」は公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師へ捧げられている。 アルバムが完成してリリースされるまでの約2ヶ月の間にU2のメンバーはアントン・コービンと一緒にアイルランドを旅行してジャケットに使うに相応しい場所を探し、ダブリンとゴールウェイの間のアルスターという町にあるモイドラム城をバックに写真撮影を行った――が、これは1980年にサイモン・マースデンというイギリス人の写真家が出版した「In Ruins: The Once Great Houses of Ireland」という写真集からのパクリで、おかげでバンドはサイモンに幾ばくかの金を払う羽目になった。[2]
概要
ジャケット
収録曲
ソート・オブ・ホームカミング - A Sort Of Homecomingパウル・ツェランというルーマニアの詩人の「poetry is a sort of homecoming(詩とは一種の帰郷のようなもの)」という詩の一節にインスパイアされて、この曲を作った。ツェランの深い懐疑的精神は以前のU2のメンバーの宗教的確信とは対照的なものだったが、「on borderlands we run...and don't look back(僕たちは国境をゆく/振り返らないまま)」という歌詞の一節は、バンドがロックと信仰との間にある矛盾に適応できるようになったことを示しているとされている。[4] EP「Wide Awake In America」に収録された際、シングルカットされることになったが、イーノとラノワがシングルヴァージョンをなかなか仕上げることができなかったため、急遽、ボウイのプロデュースで有名なトニー・ヴィスコンティを起用した。「The Unforgettable Fire」のデラックス・エディションには、バックコーラスにピーター・ゲイブリエルが参加している「Daniel Lanois remix」が収録されている。 バリー・デブリンが監督したPV
プライド - Pride (In The Name Of Love)
ワイヤー - Wire 「Bad」と同じく、当時、アイルランドで社会問題となっていたヘロイン中毒の蔓延をテーマにした曲。アダムがマリファナを少々やる以外、U2のメンバーはクリーンだが、彼らの友人が何人かヘロイン中毒に陥り、人生を台無しにしてしまった。デラックス・エディションに「Kevorkian 12" Vocal Remix 」と「Celtic Dub Mix 」の2つのリミックスが収録されている。
?(ほのお) - The Unforgettable Fire
プロムナード - Promenadeこの頃ボノとアリは、ダブリンの南にあるBrayという海辺の街へ引っ越した。家は円形砲塔を改装したもので、最上階の寝室の天井はガラス張りになっており、夜空を見上げながら眠れる構造になっていた。近くにはリーグ・オブ・アイルランドに所属するBray Wanderesのグランドがあり(歌詞にfootballが出てくる)、ビリヤード場やファストフード店やレストランやゲストハウスに囲まれた静かな環境だったそうだ。そしてそこには美しい遊歩道(Promenade)があった。曲のテーマは性的欲望のスピリチュアルな側面である。[4]
7月4日 - 4th Of July U2のスタジオアルバムに収録されている唯一のインスト曲。 レコーディングが終わりに差しかかっていた頃、アダムがちょっとしたベースラインを弾いているのを耳にしたイーノは、面白いと思って内緒でそれを録音していたのだが、やがてそれにエッジが加わり、アダムのベースに合わせてギターを弾き始めた。イーノはそれを最後まで録音し、少し手を加えて、そのままインスト曲とした。[2] タイトルが「7月4日」なのはアメリカ独立記念日とはなんの関係もなく、この曲をレコーディングした日が7月4日で、たまたまその日、ボノが名付け親となったエッジの娘ホリーが生まれたので、それを記念してタイトルにした。The Unforgettable Fireツアーでは、サウンドチェックの最後の曲としてよく演奏されていたが、ライブで演奏されたことは1度もない。
バッド - Bad