無防備都市宣言
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無防備都市宣言(むぼうびとしせんげん)とは組織的降伏の一種。戦争もしくは紛争において、都市に軍事力が存在していない開放地域(英語: Open City)であると宣言し、敵による軍事作戦時の損害を避ける目的で行われる。
概要

特定の都市ハーグ陸戦条約第25条に定められた無防守都市であることを紛争当事者に対して宣言したことを指す。現在、正確には無防備地区宣言と呼ばれ、ジュネーブ諸条約追加第1議定書第59条に基づき、特定の都市地域を無防備地域(英語: Non-defended localities)であると宣言することを指す。

この地域に対して攻撃を行うことは戦時国際法である第1追加議定書によって禁止されている。紛争当事国に特段の合意がある場合を除いて、この地域から全ての戦闘員、移動可能な兵器、軍事設備が撤去され、また、地域において軍隊や住民が軍事施設を敵対的に使用すること、軍事行動の支援活動を行うことが禁止される。つまり、無防備地区宣言とは、その地域が軍事的な抵抗を行う能力と意思がない地域であることを宣言することによって、その地域に対する攻撃の軍事的利益をなくし、そのことによって、その地域が軍事作戦による攻撃で受ける被害を最小限に抑えるためになされる宣言である。ただし、これが有効に機能するのは当事者たちが法を忠実に守った場合だけである。

無防備地区宣言を行うことができるのは、その地域を統治している中央政府、または軍事活動を統制している軍隊であり地方自治体の行う無防備都市宣言には国際法上の意味は存在しないと考えられている[1]。さらに、無防備地区に対して禁止されている行為は物理的な攻撃のみであり、占領占領行政、および(占領後の占領軍による)その地域の軍事的な使用は禁じられていない。いわば都市単位の無条件降伏と言える。
ジュネーヴ条約の条文

無防備地区に関してはジュネーヴ条約追加第1議定書に以下の条文が定められている[2]
第59条「無防備地区」

紛争当事国が無防備地区を攻撃することは、手段のいかんを問わず禁止する。

紛争当事国の適当な当局は、軍隊が接触している地帯の付近またはその中にある居住地で、敵対する紛争当事国による占領のために開放されているものを無防備地区と宣言することができる。無防備地区は、次のすべての条件を満たさなければならない。(a) すべての戦闘員ならびに移動兵器及び移動軍用設備が撤去されていること(b) 固定した軍用の施設または営造物が敵対的目的に使用されていないこと(c) 当局または住民により敵対行為が行われていないこと(d) 軍事行動を支援する活動が行われていないこと

諸条約及びこの議定書によって特別に保護される者並びに法及び秩序の維持のみを目的として保持される警察が無防備地区に存在することは、2に定める条件に反するものではない。

2の規定に基づく宣言は、敵対する紛争当事者に対して行われ、できる限り正確に無防備地区の境界を定め及び記述したものとする。その宣言が向けられた紛争当事者は、その受領を確認し、2に定める条件が実際に満たされている限り、当該地区を無防備地区として取り扱う。条件が実際に満たされていない場合には、その旨を直ちに、宣言を行った紛争当事者に通報する。2に定める条件が満たされていない場合にも、当該地区は、この議定書の他の規定及び武力紛争の際に適用される他の国際法の諸規則に基づく保護を引き続き受ける。

紛争当事者は、2に定める条件を満たしていない地区であっても、当該地区を無防備地区とすることについて合意することができる。その合意は、できる限り正確に無防備地区の境界を定め及び記述したものとすべきであり、また、必要な場合には監視の方法を定めたものとすることができる。

5に規定する合意によって規律される地区を支配する紛争当事者は、できる限り、他の紛争当事者と合意する標章によって当該地区を表示するものとし、この標章は、明瞭に見ることができる場所、特に当該地区の外縁及び境界並びに幹線道路に表示する。

2に定める条件又は5に規定する合意に定める条件を満たさなくなった地区は、無防備地区としての地位を失う。そのような場合にも、当該地区は、この議定書の他の規定及び武力紛争の際に適用される他の国際法の諸規則に基づく保護を引き続き受ける。

歴史

1899年、上記のジュネーヴ条約追加第1議定書の規定の前身にあたるハーグ陸戦条約の第25条に、「防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス」と定められた。後年の第一追加議定書において、無防備都市宣言とは紛争相手国の占領を無抵抗で受け入れることと位置づけられたが、これを先取りした事例といえる。

しかし、この「無防備都市」とは誰が行うのか、どのような条件で認められるかは不明確であり、第一次世界大戦第二次世界大戦をはじめとする過去の戦争では、口実を設けては幾度となくこの条約は破られてきた。過去に無防備都市宣言が無視された代表的な例では以下のものが挙げられる。
第一次世界大戦初期のセルビア首都、ベオグラード
セルビア軍が首都防衛を放棄した後、無防備宣言を行ったが、オーストリアはそれを無視し砲撃を実行[3]
第二次世界大戦末期(1943年以降)のイタリア
イタリア王国が連合軍に降伏後(イタリアの降伏)、ローマ、キエーティフィレンツェなどが無防備宣言を行ったものの、連合軍・ドイツ軍双方に無視されている。ローマに関しては無防備都市を宣言したものの、実際には一部の防衛軍が残存しており、エンリコ・カヴィリア(イタリア語版、英語版)元帥による降伏手続きが行われるなど無防備都市の徹底は行われておらず、ドイツ側も無防備都市状態を認めていない。ローマはその後数度にわたって空襲を受けており、中立国であるバチカンの領域も損害を受けた(ローマ爆撃)。
第二次世界大戦チャンネル諸島[4]
イギリス軍が戦略的な理由から防衛せず、現地の政府が無防備都市宣言を行った。しかしドイツ側はこの宣言を認識しておらず、港湾に爆撃を行って死者を出している。

また、終戦を意味する国家の降伏と異なり、無防備都市宣言を行った都市がそれ以降の戦争から離脱できるわけではなく、戦局の変化によっては再び戦火に見舞われる可能性がある。第二次世界大戦のさなかの1940年、フランス政府はパリの無防備都市を宣言してパリを戦火から逃れさせたが、1944年の連合軍再侵攻によってパリは戦火に見舞われた。ドイツのアドルフ・ヒトラー総統は従前の無防備都市宣言に一切拘束されず、パリにおける徹底抗戦と、破壊命令すら出していたが、様々な事情が重なって破滅的な事態は免れ得た(パリの解放)。イタリアの各都市やアメリカ植民地であるフィリピンマニラも同様に無防備都市宣言後に再度戦場となっている。


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