中華人民共和国 江蘇省 無錫市
左上から時計回り:無錫三陽プラザ、無錫太湖プラザ、無錫太湖新城、拈花湾、太湖長春橋、宜興善巻左上から時計回り:無錫三陽プラザ、無錫太湖プラザ、無錫太湖新城、拈花湾、太湖長春橋、宜興善巻
略称:錫
旧称:梁渓・金匱
江蘇省中の無錫市の位置江蘇省中の無錫市の位置
中心座標 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度33分58秒 東経120度18分11秒 / 北緯31.56611度 東経120.30306度 / 31.56611; 120.30306
無錫市(むしゃく/ウーシー-し、中国語: 无?市、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Wux?)は中華人民共和国江蘇省の南部に位置する地級市。
改革開放以来、急激に工業が発展し、とりわけ日本企業の進出が多い。長江デルタ中心都市の一、東の上海からは128km、西の江蘇省省都・南京からは183kmの距離。東隣は蘇州市、西隣は常州市。
無錫の市域の北部境界は長江南岸にあたり、無錫市管轄下の港湾都市・江陰市が泰州市を対岸に臨む。南部の境界は太湖北岸だが、市域はさらに太湖をはさんで飛び地となっている宜興市も管轄している。宜興市は北と西を常州市に囲まれ、南は浙江省に接している。 無錫の位置は北緯31度7分から32度2分、東経119度33分から120度38分の間。無錫市域の主要な範囲は沖積平野であり、ごくわずかの低山と丘陵がある。最高地点は黄塔頂(611.5m)。これらの山は石灰岩からできており、「太湖石」とよばれる穴の多い複雑な形の奇石を産出する。この石は中国庭園で鑑賞や瞑想などのために置かれ珍重される。無錫市域の南部は太湖が広がり、市の水面面積は769平方km、面積の16.5%を占める。無錫は小さな河川が無数に流れる、典型的な江南の水郷である。太湖に産する魚などの水産物が豊富で、古来「魚米の郷」と呼ばれていた。 太湖に接した無錫市街は、典型的な中国の古い城壁都市であり、中心を隋代以来の「大運河」が貫き、京杭運河となった今でも多くの船が行き来する。 無錫はかなり暑い夏から非常に寒い冬まで気温差が大きく、年平均気温は18℃である。東シナ海に近いためモンスーンや台風の影響を受け、年平均降水量は1,000mmに達する。 中国地名の変遷 無錫は有史以来非常に長い歴史を持つ。有史以前は6?7000年前からの居住や農耕の跡があり、長江文明に属する良渚文化の墳墓など遺跡群がある。ここが呉の発祥の地の一つとなった。呉は製鉄など金属の精錬・加工と農具・武器への利用で中原の国々を圧倒したが、無錫も元来はスズ(錫)を多く産出する「有錫」という名の鉱工業都市だったという。余りにも多く掘り過ぎて前漢までに掘り尽くしてしまい、以来「無錫」になったといわれる。しかし近年の言語学者らの研究により、無錫の市名の無という字の由来は越語の発語詞によったものであり、従来の錫の産地から「有錫」「無錫」になったという説を否定する研究もある(江南は古代中国では越国の領地であって、言語も当然越語が使われていた。今日江南地域で通用する呉語の源もこの越語である)。 紀元前202年、前漢はこの地に無錫県を置いた。隋時代に建設された大運河が無錫を通り、以来、江南の農産物や織物を集散し華北や中国各地へ送る重要な経済都市・商業都市であり続けた。また、明末には顧憲成によって東林書院が建てられ東林派の拠点となった。 清代後期には、無錫は周囲の農産物の集積を背景に、その米市場の相場の影響力は江蘇省の範囲を超えるまでになった。中国の四大米市の1つに数えられていた。また紡績業や繊維産業が発達し、無錫は「布碼頭(布の港)」と呼ばれるほどだった。辛亥革命までの間に食品や繊維などの民族資本が形成され始める。 こうした経済の発展は文化の発展も伴った。多くの文人らが無錫から生まれ、無錫には寄暢園 1912年、中華民国は無錫県を置き、大小の資本の本拠地となった無錫は「小上海」といわれるほどの商業の繁栄を見た。1937年、日中戦争により、日本軍は無錫に入城し、戦場となった市街は大きく破壊された(中国側の調査では入城の際に1万4千人が犠牲になったとされる)。1949年4月23日、国共内戦の末、中国人民解放軍が無錫を占領した。1953年無錫は江蘇省の直轄市となった。だが、大躍進政策、人民公社化と文化大革命は、無錫とその周辺に荒廃と経済の多大な破壊をもたらした。 改革開放以来、無錫の経済は再起し、目覚しく発展を遂げることとなった。1981年には全国15ヶ所の経済中心都市の一つとなり、1984年には全国10ヶ所の重点観光都市の一つともなった。1985年までに無錫は開放都市となり、工業団地などが整備され、海外資本が大規模な投資を行った。以来、無錫は常に都市実力ランキングや投資環境ランキングで中国の上位に入り、2022年の市民一人当たりの国内総生産は198400元(当時のレートで27982USドル)に達している。 清鼎盛?期 5市轄区・2県級市を管轄する。
地理
歴史
建置前漢
使用状況無錫市
前漢無錫県
新有錫県
後漢無錫県
三国無錫県
西晋無錫県
東晋十六国無錫県
南北朝無錫県
隋無錫県
唐無錫県
五代無錫県
北宋/遼無錫県
南宋/金無錫県
元無錫州
明無錫県
清無錫県・金匱県
中華民国無錫県
現代無錫県
無錫市
行政区画
市轄区:
浜湖区・錫山区・恵山区・梁渓区・新呉区
県級市:
江陰市・宜興市