無漏
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仏教用語

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有漏(うろ、: s?srava)[1]とは、仏教において、煩悩に関わるのこと[2]

漏(ろ、: ?srava)は、さまざまな心の汚れを総称して表す言葉で、広い意味で煩悩と同義と考えられる。仏教では「流れ出る」「漏出」の意味に解し(他に「漏世」「漏注」「漏失」などの漢訳語もある)、汚れ・煩悩は六根(視覚・聴覚など五官と心)から流れ出て、心を散乱させるものと説明した[3][4]。そのような汚れのある状態を有漏といい、煩悩に関わらない汚れが滅し尽された状態を無漏(むろ、: an?srava)[2][5][3]という。
漏の数
三漏

相応部漏経では、釈迦は以下の三漏を挙げている。

漏 (K?ma ?savo)

漏 (bhava ?savo)

無明漏 (avijj? ?savo)

四漏

阿毘達磨大毘婆沙論では、以下の四漏を挙げている。これは四暴流とそのまま対応する。

欲漏

有漏



無明漏

七漏.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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有漏の状態

有漏は、厳密には「煩悩の対象となりあるいは煩悩とあい伴うと同時に、煩悩がそれらの上に力をもち、それらをけがすようなもの」という意味となる。たとえば、人はほとけそれ自体を対象として煩悩を起こすこともあるが、ほとけは業・輪廻の世界を超えており、有漏ではない。また、業・輪廻の世界に属するかぎりすべての存在は、善いものも中性のものも悪いものも有漏である[4]

倶舎論においては、苦・集・滅・道の四諦のうち、苦諦および集諦が有漏に、滅諦(無為の3種類のうち択滅(ちゃくめつ)に同じ。なお、ここでは他の2種類にあたる虚空・非択滅も含む)および道諦が無漏に対応する[6]。図示すれば下記の通り。

一切[6]
有為法無為法
有漏法無漏
・苦諦

・集諦・道諦・滅諦=択滅

非択滅虚空

業と煩悩の世界、平常的人間の世界は有為であって有漏である。さとりの領域に属する涅槃は無為であって無漏である。そして、平常的人間の世界からさとりの領域にすすむ「道(諦)」は、さとりに入っていないから有為であり、同時に煩悩を離れる道だから無漏である[7]と考える。また、倶舎論では「道を除いて余の有為は、彼に於いて漏が随増す」とあり、有漏法は煩悩の対象となるばかりでなく、煩悩がその上にとどまって離れず、なお増大するものであると捉えられている[2]
一休の句

禅僧の一休宗純は、師の華叟宗曇からの「洞山三頓」の公案に対し一休が見解を示し、さらに「有漏路より無漏路へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」との句を添えたことをきっかけに、華叟宗曇から「一休」の号を授けられた[8]
脚注
注釈
出典^ 櫻部・上山 2006, p. 仏教基本用語(2).
^ a b c 櫻部 2006, p. 60.
^ a b 岩波仏教辞典第2版 1998, p. 63.


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