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無意識(むいしき、独: das Unbewusste、英: unconscious[注釈 1])とは、意識を失っている状態(意識消失または意識喪失)、または精神分析学を創始したジークムント・フロイトの発見に始まる心的過程のうち自我では把握できない(意識できない)領域をいう(潜在意識)。 無意識とは何かということは、その前提に、意識とは何かということの了解がなければならない。「意識」とは、人間一般において、「わたしが意識していると、意識しているとき、自明的に存在了解される何か」であるとされる(デカルトの「我思う、ゆえに我あり」。哲学の分野では長い間、意識と自我は同一視された)。 このように意識は、主観的に把握されてきたが、近代に成立した科学がその研究対象とするには、客観的な規定としては適切ではなく、曖昧であり、かつ定量的把握も困難であった。そのため心の学である心理学においても、心や魂、あるいは意識は科学的に定義されないとして、刺激と反応で心理学を築こうとした行動主義心理学などが出現した。現在でも心の概念と同様、意識の概念も主観的に把握されるものに過ぎず、その存在を客観的に把握するのが難しいものであると考える心理学派もある。 しかし、科学的対象として客観的把握が困難であるとしても、「意識を意識する者には、意識の存在は自明である」という命題もまた真理であると考えられることから(主観的把握)、科学的客観的には観察されないにしろ、心の概念と同じように意識の概念も存在していると最初から前提している心理学も多い。少なくとも一般人は意識が無いとは考える人は少ない。そのため科学的に証明されていなくても、意識は自明のものとして扱われたりしている。もちろん意識もまた存在しないと考える学派もあり、確定していない。 記憶 意識状態[要出典] 無意識は、「意識がない状態」と「心のなかの意識でない或る領域」の二つの主要な意味がある。 「意識がない 独: unbewusst, bewusstlos, 英: unconscious」とは、強い意味だと、大脳の働きがほとんどない状態を意味する。しかし大脳の働きは、人間が生きている限り、完全に停止するということはなく、「ほとんどない」とはどこまでないことなのか、客観的な基準が曖昧である。 他方、弱い意味で「意識がない」という場合は、「気づかない」という意味でもある。例えば、音楽を聞きながら本を読んでいると、最初は本の文章の内容と、音楽の両方が意識される。しかし、読書に集中していて、ふと何かで中断されると、「音楽が急に聞こえて来る」ということがある。音楽はずっと鳴っていたのであるが、読書に集中していたため、音楽の進行に「気づかなく」なっていたのである。 人間は時間のなかで、非常に多数の感覚刺激や意味の刺激を受け、その多くを意識している。しかし、記憶に関する心理学の実験からは、「意識していない・気づいていない」感覚刺激や意味の刺激として大脳が感受し記憶に刻んでいる量は、さらに膨大であると言える。 人間は様々なものを意識するが、目前、あるいは「いまここの感覚的・意味的刺激のパターン」以外で、「意識するもの」は、広義の「記憶」である。
意識の存在
無意識の存在
無意識の意味1
覚醒状態深睡眠
短期記憶
作動記憶
長期記憶有意識無意識
意識喪失
フリンジ
長期記憶
深層意識
深層意識
意識と記憶
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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