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出典検索?: "無宿" 映画
無宿(やどなし)
監督斉藤耕一
脚本中島丈博
蘇武道男
製作勝新太郎
西岡弘善
真田正典
出演者高倉健
勝新太郎
梶芽衣子
安藤昇
音楽青山八郎
撮影坂本典隆
編集谷口登司夫
製作会社勝プロダクション
配給 東宝
公開 1974年10月4日
上映時間97分
製作国 日本
言語日本語
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『無宿』(やどなし)は、1974年(昭和49年)10月4日に公開された日本映画。製作は勝プロダクション、配給は東宝。昭和49年度文化庁芸術祭参加作品。
高倉健と勝新太郎が共演した、唯一の映画作品。アラン・ドロン主演、ロベール・アンリコ監督によるフランス映画『冒険者たち』をモチーフにした、男2人と女1人のロードムービー[1]。 この作品記事はあらすじの作成が望まれています。ご協力 1973年11月に高倉健主演映画として予定されていた東映製作の『海軍横須賀刑務所』に高倉が出演せず[2]、勝新太郎が東映に初出演し、高倉の代わりの主演を務めたことから[3]、このお礼として[2]、東映の専属俳優・高倉が初めて他社出演した[2][4][5]。当初のタイトルは『仁義の掟』で[2]、『無宿(やどなし)』というタイトル変更は1974年8月[2]。また監督には『津軽じょんがら節』を見て感銘を受けた勝が[6]、当時松竹と優先本数契約を結んでいた[5]斉藤耕一を招聘した[2][5][6]。 『冒険者たち』を下敷きに脚本を書かれたとされるが[6]、製作中の文献に中島丈博が書いた脚本は日本版『スケアクロウ』と書かれたものがあり[5]、『スケアクロウ』はバディムービーとして評価が高いが[7]、日本では興行は振るわず[5]。東映、松竹の幹部も『スケアクロウ』と同じような中年オヤジの話を日本でやってもヒットはしないと予想した[5]。 高倉健、 勝新太郎、梶芽衣子、安藤昇と全員売れっ子で東京で製作会見を開く予定だったが調整が付かず役者が全員出席の会見は行われなかった[2]。1974年8月19日クランクイン[2]。 前年1973年の岡田茂東映社長と俊藤浩滋プロデューサーの製作方針を巡る対立、東映お家騒動は(海軍横須賀刑務所#製作を参照)、同年3月、関東東映会の佐々木進会長を立て表面上の和解がなされたが、岡田は実際は俊藤に近いがお家騒動で中立を守った菅原文太主演の『実録飛車角 狼どもの仁義』を『無宿』と同時期にぶつける嫌がらせを行った[8]。『無宿』の興行は惨敗したとされる[6]。
あらすじ
スタッフ
監督:斉藤耕一
製作:勝新太郎、西岡弘善、真田正典
脚本:中島丈博、蘇武道男
撮影:坂本典隆
照明:中岡源権
音楽:青山八郎
編集:谷口登司夫
現像:東洋現像所
製作:勝プロダクション
出演者
駒形玄造:勝新太郎 ※クレジットトップ
サキエ:梶芽衣子
斐川仙蔵:安藤昇
板東梅之丞:藤間紫
安:山城新伍
辰平:中谷一郎
常泰:三上真一郎
磯吉:今井健二
大場博人:大滝秀治
為造:殿山泰司
ガセネタ売り:神津善行
ユキノ:荒木道子
本宮勇作:石橋蓮司
百合香:栗崎昇
遺手姿さん:木下サヨ子
玉井組乾分A:伊吹新吾
轟謙二
北村英三
原口剛
鈴木康弘
秋山勝俊
藤春保
暁新太郎
南部彰三
小柳圭子
岡本健
細井伸悟
小川宗一
山岡鋭二郎
武見和士朗
下元年世
穴吹錠吉:高倉健 ※クレジットトメ
製作
脚本
撮影
興行
脚注^ 天晴れ!時代劇 キネマ旬報第1243号 臨時増刊1997年12月16日号53p-54p
^ a b c d e f g h “大作挑戦の布陣が目立つ邦画各社の九月以降態勢”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1974年8月17日)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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