無名戦士の墓
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無名戦士の墓(むめいせんしのはか)とは、歴史を通して起きた戦争戦死し、かつ身元がわからない兵士遺骨埋葬または納めた[1]

また、遺骨も無く、遺品を納めたり、それも無く英霊として葬り、祀る墓もある。ここでは戦死した者への慰霊塔慰霊碑や慰霊を行う大聖堂、無名戦士の碑なども含んで記述する。
概要

無名戦士(無名兵士)とは"Unknown soldier"の訳語である。この語は、本来の軍事用語としては、戦場で発見された「身元不明の兵士(の死体)」を意味する。それゆえに、欧米の無名戦士の墓では実際にその場所で身元不明の戦死者が無縁墓のように埋葬されている場合がほとんどである。その一方で、一般語としては「無名」の訳語のように「有名でない、あるいは誰にも知られず死んだ兵士」といったようなニュアンスもあるため、戦没者慰霊碑や兵士の像などのように「全ての戦死者の象徴」としての機能を併せ持っている。

現代においては多くの国家自治体宗教団体などが主体となって無名の戦士の墓や慰霊碑を設けている。これらは戦死した場所や地域、また祖国に設けられる。
意義

欧米諸国において無名戦士の墓は、外交儀礼上の敬意が払われる存在とみなされている[2][3]アメリカ合衆国政治学者ベネディクト・アンダーソンは『想像の共同体』の冒頭で、無名戦士の墓やそれに付随する記念碑は、そこに祭られる兵士が匿名であり、「その国家のために戦死した」ということ以外一切のアイデンティティ(宗教的背景など)が排除されていることにおいて極めて近代的な産物であり、「これほど近代文化としてのナショナリズムを見事に表象するものはない」と指摘している[3]
各国の例一覧

一覧の国の順は英語の国名綴りに従う

国名称 - 場所画像解説
アルゼンチンメトロポリタン大聖堂 - ブエノスアイレス独立のための無名戦士の墓
アルメニア勝利公園 - エレバン無名戦士の墓
オーストラリアオーストラリア戦争記念館 - キャンベラオーストラリアの無名戦士を慰霊
オーストリア英雄広場 - ウィーン
ベルギーコングレ記念塔 - ブリュッセル無名戦士の国立モニュメント
ボリビア無名戦士モニュメント - ラパス無名戦士の墓
ブラジル戦士の記念碑 - リオデジャネイロ市第二次世界大戦の無名戦士の墓
ブルガリア(1) - ソフィア
(2) 無名戦士モニュメント - ハスコヴォ(1)(1)無名戦士の記念碑 (ソフィア)
(2)露土戦争の無名戦士の墓
カナダカナダ連合公園 - オタワ国立追悼碑の無名戦士の墓(英語版)
チリマヌエル・バケダノ将軍広場 - サンティアゴ1881年の南米太平洋戦争の無名戦士の遺骨を納める
チェコVitkov丘 - プラハ国立追悼碑
デンマーク- フレゼリシア歩兵追悼碑
エジプト無名戦士の記念碑(英語版) - ナスル、カイロ大統領アンワル・アッ=サーダートも葬られる
エストニア防衛軍の墓 - タリン
フィンランドヒエタニエミの軍人墓地 - ヘルシンキ
フランスシャルル・ド・ゴール広場 - パリエトワール凱旋門の下に無名戦士の墓
ジョージアヴァケ公園(英語版) - トビリシ無名戦士の墓 (トビリシ)
ドイツウンター・デン・リンデンブールバール - ベルリンノイエ・ヴァッヘ19世紀時期の衛兵所の部分
ギリシャシンタグマ広場 - アテネ無名戦士の碑 - 無名戦士の墓 (アテネ)
ハンガリーアンドラーシ通り - ブダペスト英雄広場の無名戦士慰霊碑
イラクアルシャヒード・モニュメント(殉教者の墓)- バグダードイラン・イラク戦争の無名戦士慰霊碑
インドインド門 - ニューデリー無名戦士の墓を兼ねる (アマル・ジャワン・ジョティも参照)
インドネシア- バンドン無名戦士の追悼地。他にKembang Kuning 戦オランダ軍の無名戦士の墓 - スラバヤ
イタリアヴェネツィア広場 - ローマヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の無名戦士の祭壇 - 無名戦士の墓 (ローマ)
日本(1) 東京都千代田区
(2) 東京都千代田区
(3) 埼玉県越生町
(4) 大阪府富田林市
(5) 京都市東山(2)(1) 靖国神社
(2) 千鳥ケ淵戦没者墓苑
(3) 世界無名戦士之墓
(4) 大平和祈念塔
(5) 霊山観音
レバノン- ベイルートオリエント部隊、レバント軍、レバノン軍の墓が知られていない全ての戦没者を追悼 - 無名戦士の墓 (レバノン)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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