株式会社良品計画
RYOHIN KEIKAKU CO.,LTD.
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 7453
株式会社良品計画(りょうひん けいかく 英: RYOHIN KEIKAKU CO.,LTD.[4])は、無印良品(むじるし りょうひん)やMUJIブランドの小売店舗・商品開発と製造・販売を展開する専門小売企業である。
衣料品、雑貨、食品、家具などを販売する「無印良品」および無印良品のオンラインストア運営のほか、家具・インテリア雑貨を専門に取り扱うIDEEの展開、新潟県・岐阜県・群馬県でのキャンプ場の運営、株式会社 MUJI HOUSEを通じた住宅の施工および販売、二次流通市場における事業、まちづくりに関する事業、金融・投資に関する事業、教育に関する事業などを手掛けている[5]。かつては旧セゾングループ(西武流通グループ)の一員であった。 1970年代、スーパーマーケットをはじめとする量販店各社はプライベートブランド (PB) の開発を推めた。1977年10月に西友は、従来のPB商品を充実させるべく田中一光、小池一子の提案による「SEIYU LINE」をPBの総合ブランドして取り扱うことを決定した[6]。 1980年に、SEIYU LINEのPB商品群をプロトタイプとして新たにラインナップを増強して、田中の発案による英語のノーブランドグッズ (no brand goods) を和訳した「無印良品」をブランド名とした[7]。1980年当初のブランド数は食品が31品目、生活雑貨が9品目の40品目だった[8]。無印は、西友、西武百貨店、ファミリーマート、阪神百貨店のインショップなどで発売した[9]。1983年に青山で開店した路面店は、内装を杉本貴志が手掛けた[10]。当初の広告ではいわゆる「わけあり商品」を安く売るというコンセプトを全面的に打ち出していた[11]。発売当初のキャッチコピー「わけあって、安い。」は小池が考案した。 当時セゾングループ代表だった堤清二は、「哲学者のジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』などに触発され[12]、商品にブランド名が付くだけで価格が上昇する現象に疑問を持ち、ブランドを与えないことで価格を抑える方が消費者に喜ばれると考えて、無印の企画を立ち上げ、発足当時は「無印良品」を「反体制(アンチブランド)商品」と呼んでいた」と語る[13]。無印良品は「ノーブランドというブランド」として出発した。 1989年6月に、西友の100%子会社として株式会社良品計画を設立する。1992年9月に、西友の子会社で休眠状態であった魚力[注釈 3]が良品計画を合併し、魚力が良品計画に社名を変更した[14]。 バブル崩壊後も良品計画は成長を続け[15]、1990年代後半からセゾングループ以外のジャスコなどにも商品を供給した[16]。 2001年度にディスカウントストアの台頭などが影響して衣料品などが不振となり業績が2003年まで悪化した事によって[17]、良品計画社長に就任した松井忠三は不採算店舗の閉鎖・縮小・不良在庫処理・全在庫焼却・直営店の1割に当たる赤字店舗閉店・無駄経費徹底削減・人材育成改革・組織体制の抜本的な変更などを断行していった[18][19][20][21][22][23]。また業績悪化の一番の原因であった商品力の回復に向けて取り組み、無印良品のクリエイターやデザイナーは日本の禅や茶道の価値観に影響を受けていたため、素材を見直し、生産工程での無駄を排除し、包装を簡素化することで質を落とさずに価格を下げ、機能に無関係な工程は全てカットし、商品はシンプルで機能性重視にした[18][19][20][21][22][23]。
概要
シンプル重視へ