無効化の危機
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無効化の危機(むこうかのきき、英:Nullification Crisis)は、アメリカ合衆国アンドリュー・ジャクソン大統領のときに、アメリカ合衆国議会が成立させた連邦法をサウスカロライナ州が無効化しようとした連邦法無効宣言によって引き起こされた党派抗争の危機である。高度に保護的な1828年の関税法(「唾棄すべき関税」とも呼ばれた)がジョン・クィンシー・アダムズ大統領の任期中の1828年に法制化された。これには南部からまたニューイングランドの一部から反対があり、関税反対者の予測したところでは、ジャクソンが大統領に当選すれば関税もかなり下がるだろうということだった[1]

国全体に1820年代を通じて経済の落ち込みがあり、サウスカロライナ州は特に打撃を受けていた。米英戦争イギリスの競争相手に対してアメリカの製造業を成長させるために展開された国の関税政策について、サウスカロライナ州政界の多くが資産が目減りすると言って非難した[2]。1828年までにサウスカロライナ州政界は関税問題で団結するようになっていった。ジャクソン政権がサウスカロライナ州の関心事に対して何の行動も採らなかったとき、州内の最も過激な派閥は州自体でこの関税は無効でありサウスカロライナ州内では適用されないと宣言することを提唱し始めた。ワシントンD.C.では、州の無効化について最も効果的な憲法理論の提唱者であるジョン・カルフーン副大統領とジャクソン大統領の間に、この問題に関する公然の対立が起こった[3]

1832年7月14日、カルフーンがその職を辞した後で、ジャクソンは1832年関税法に署名し、関税率を幾分下げた。この下げ方がサウスカロライナ州にとっては小さすぎるものであり、11月には州会議が1828年と1832年の関税法は違憲であり、1833年2月1日以降サウスカロライナ州内では執行されないと宣言した。予測された連邦政府の強制執行に抵抗するために、州では軍事的な準備も始められた。2月遅くに、大統領がサウスカロライナ州に対して軍事力を使うことを認める強制法と、サウスカロライナ州にとっては満足のいく新しい関税法の両方を連邦議会が成立させた。サウスカロライナ州会議が再招集され、1833年3月11日に無効化条例を撤廃した。

危機は去り、両者は勝利を主張する理由を見付けられた。関税率は引き下げられたが、無効化の州の権限理論は国によって拒絶された。関税政策は民主党と新しく登場したホイッグ党の間で国家的政治課題であり続け、1850年代までに奴隷制や領土拡張の問題と組み合わされて、国の最も重要で党派を分かつ問題となった[4]
背景 (1787年-1816年)

歴史家のリチャード・E・エリスは次のように書いた。個人に直接働きかける権限のある国家政府を創ること、州が以前は持っていた多くの特権を否定すること、および中央政府が明確には任されていない多くの権限があると主張する可能性を持たせることで、憲法権利章典は最後に批准されたままで、実質的に州の犠牲の下に中央政府の力を増やした[5]

この変化の程度と、州と連邦政府の間での力の現実的配分問題は、南北戦争まで、さらにそれ以降も政治と理論の議論の対象となった[6]。1790年代初期、アレクサンダー・ハミルトンの国家主義的財政計画対トーマス・ジェファーソンの民主的で農本的な計画という構図で論争が集中し、2つの対立する全国政党の形成に繋がった。この10年間の後半では外国人・治安諸法の成立に続き、州の権限をうたう立場はケンタッキー州およびバージニア州決議で明確にされた[7]。トーマス・ジェファーソンが書いたケンタッキー州決議は、無効化と脱退双方の正当化としてしばしば引用される次の文章を含んでいる。…民衆によって選ばれた全体政府の議員が委任された権力を乱用した場合に、民衆による変更は合憲的救済策である。しかし、権力が委任されていなかったと考えられる場合、法の無効化は正当な救済策である。各州は盟約に含まれない(条約非該当事由)場合は自然権を持ち、それ自身の権限で他者による権力と見なされるものを全て州の範囲内で無効化できる。この権利が無ければ、州はこの判断の権利を行使する者誰でもの支配下に絶対的に無制限に付くことになる。それでもこの州は州の集まりという概念を認め尊重するという動機から、この問題について対話しようとしてきた。彼等とだけであれば対話も適切である。彼等だけが盟約を結ぶ相手であり、彼等だけがその下で行使される権力の最後の手段として判断を認められている[8]

ジェームズ・マディソンが書いたバージニア州決議では、下記のように類似した議論がある。この決議は、連邦の盟約という見解を取り入れ、他者が周到で明白で危険な権力で前述の盟約では認められていないものを遂行する場合に、その当事者である州は、悪者を逮捕するために干渉する権利とそうしなければならない義務があり、それぞれの境界内で、彼等に付属する権限、権利および自由を維持することに権利と義務があるという推論に由来する。アメリカ合衆国憲法は州の認可で作られ、それぞれの州によって主権を有する能力を与えられた。憲法の権限の上に安定と尊厳を加えられ、この確固とした基盤の上に立っている。州は憲法の盟約の当事者であり、主権を有する能力の中で、最後の手段として彼等が作った盟約が侵害されているかを、それらの権限を越えて決定する裁決機関はあるべきではないという必然に従う。またその結果、一方の当事者としての州は最後の手段として、その介入を要求する十分な程度までそのような問題を自分達で決定しなければならない[9]

歴史家達は、どの程度までこれら決議が無効化の原理を実際に提唱しているかについて意見が異なる。歴史家のランス・バニングは「ケンタッキー州の議会(より可能性が強いのはジョン・ブレッキンリッジ自身)は連邦の権利侵害に対する合法の救済策は各州による『無効化』であり、それぞれの境界内で連邦の操作を妨げるよう独自に行動するというジェファーソンの提案を削除した。協業してはいるが個々にこの種の手段を提案するよりも、ケンタッキー州はこの法が「無効で効力がないこと」と宣言し、連邦議会の次の会期で「抗議を求める」ことで、友邦に団結を求めることで満足した」と書いた[10]


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