炭鉱
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「炭坑」はこの項目へ転送されています。1931年の映画については「炭坑 (1931年の映画)」をご覧ください。
ラバに曳かせるトロッコで石炭を運び出す場面インドにある炭鉱(露天掘り)

炭鉱(たんこう、英語:coal mine)は、石炭または亜炭を掘り出すための鉱山のこと。

なお、しばしば上記意味に対し、炭鉱と同じ読みの炭礦の表記が当てられる。その理由として石炭が金属ではなく、その採掘地を金属鉱山とも呼べないため、漢字のが「金偏」ではなく「石偏」となるのが正しいためとも主張される。また、石炭採掘の坑道という意味で通常用いられる炭坑もしばしば炭鉱を指すために使われる。本項目では上記定義が示す用語を「炭鉱」に統一し記述する。
歴史

石炭の採掘の歴史は、中国大陸の考古学的形跡から紀元前約3490年以降とされる[1]。当初は鉱脈に沿って採掘する樋押採掘(英語版)、ベルピット(英語版)[訳語疑問点]と呼ばれる縦穴を掘った後に底の周囲を(の形状に)採掘する手法が取られた。
18世紀の鉄鋼業・産業革命の需要

本格的な炭鉱開発が世界的に始まったのは18世紀に入ってからであった。背景にはその時期に製鉄と燃料の需要が急速に高まったことを上げることができる。

製鉄は、精錬するための原料に近世に入るまで木炭を利用していた。しかし木炭は大がかりな設備への使用は適さず、期待される需要に木炭で応えるには木材の消費量が過大となり、実際に製鉄を行っている地域の木材の消費は限界に達した。その結果、燃料費が高騰し、需要の急激な増加に追いつかなかった。
1612年になると、イギリスのスタードバントが石炭を原料とした骸炭を使った製鉄法を発明し、後にダッド・ダドリー(英語版)、エイブラハム・ダービー1世(英語版)らの改良により鉄の生産能力が高まり、それに伴い炭鉱開発も発展を遂げるようになる。

燃料としての需要は、特にイギリスにおいて後に産業革命の原動力となった蒸気機関の発展と歩調を合わせたものであった。蒸気機関が紡績工場の動力として用いられるようになると、その熱源として石炭が重宝されるようになったのである。

その後の需要


石炭ガスの利用により、多種の化学物質を石炭から抽出等する石炭化学が発展した。

1882年、トーマス・エジソンが世界で最初の石炭火力発電所パール・ストリート・ステーション(英語版)をニューヨークに建設した[2]。2009年の時点で、世界の電源構成比率における石炭火力発電の割合は約40%となっている[3]

日本

日本では、江戸時代末期から筑豊唐津地方で採掘された石炭が個人消費されており、薪の代用とされていた。

日米和親条約締結後、函館などの港の開港により船舶への燃料供給の必要性が高まり、1857年安政4年)蝦夷地(北海道)白糠町釧路炭田が日本初の洋式坑内掘炭鉱として開発された[4]。さらに財政が逼迫していた諸藩が陣頭指揮をとって、炭鉱を開発していくようになる。当初は軌道に乗らなかったものの、瀬戸内地方の製塩業者向けの販路を見出すと大きく発展を遂げた。その当時の製塩では海水塩を蒸発させる燃料に松やにを利用していたが、その松やにの価格が高騰し、低価格であった石炭が歓迎されたのである。

このように炭鉱の歴史は、石炭の需要拡大と歩調を合わせてきたといえる。以下に述べる採掘方法の発展や都市の発展も同様である。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。
フランス国内の石炭産出地とノール県の場所(赤枠)
フランス

フランスのノール県ロレーヌ地域圏などから産出していた。第一次世界大戦で大手石炭採掘企業アンザン炭鉱会社(フランス語版)の施設が破壊されて減産し、第二次世界大戦前にはイギリスなどから輸入していた。

戦後は、更に国内産出も減少し、外貨不足と周辺諸国の混乱によって深刻な石炭不足となった。その他の物資不足も起きていた状況から、フランスでは多くの産業を国有化し、石炭産業も1946年からフランス石炭公社(フランス語版)の形で再建を図った[5]

国有化後も国際競争の荒波に勝てず、閉山、生産縮小を余儀なくされた。閉山した炭鉱は観光地化などの道をたどった。

1867年、ル・クルーゾ炭鉱の坑道に降ろされる運搬用の馬(ルイ・シモナン「地下生活 - または鉱山と鉱夫」より[6]

ランプルームで管理され、下に降りる前に身分証を渡しランプを貰い管理していた。

更衣室。掃除しやすく、すぐ乾くようになっていた。

ポーランド
詳細は「en:Coal mining in Poland」を参照

歴史的にシレジアルブリンから採掘が行われてきた[7]。2021年、ポーランド政府と石炭採掘組合は2049年までにすべての炭鉱を閉鎖する協定草案に合意した[8]
ヨーロッパ

第二次世界大戦後のヨーロッパの国々はヨーロッパ全体での石炭産業の調整(国際カルテル)を行うための欧州石炭鉄鋼共同体を創設するパリ条約 (1951年)を締結、1952年に実行した。多くの国でカルテルは禁止され政治的な反対もあったが、例外規則によって設立がなされた。この意義は、石炭と鉄鋼は戦争の原因となる資源であり、それを共同管理することで平和にやっていこうという事である。2002年7月23日にパリ条約は失効したが、欧州共同体に引き継がれ、さらに発展拡大された欧州連合に引き継がれる。
ロシア
詳細は「en:Coal in Russia」を参照

埋蔵量は世界で2番目に大きい1,730億トンであり、そのほとんどはクズネツク炭田、カンスク・アチンスク炭田(英語版)の物である。
アメリカ
詳細は「en:Coal mining in the United States」を参照
分析2012年石炭産出量TOP5か国の1980年から2012年にかけての産出量傾向[9]

石炭生産量の国際比較を行うことができる統計は多くはないが、石炭産出量が特に多い国は中国アメリカ、インド、オーストラリア、ロシア、南アフリカ、ドイツ、ポーランド、インドネシア、ウクライナである[10]

大規模な炭鉱は炭田とも呼ばれ、大規模なものは、中国の大同炭田萍郷炭田などのほか、アメリカのアパラチア炭田、ロッキー炭田、カザフスタンのカラガンダ炭田、クズネツク炭田、ウクライナのドネツ炭田などであり、他に、インドのダモダル炭田、ポーランドシロンスク炭田、日本での輸入が多いオーストラリアモウラ炭田などが有名である。

古くから産炭地(英語版)として知られたが、小規模であることや設備の老朽化などに伴い規模を縮小しつつあるものには、産業革命と共に発展を歩んだイギリスのランカシャーヨークシャー地方、ウェールズ地方。ドイツルール地方ザール地方、チェコボヘミア地方などを上げることができる。これらの中には閉山を余儀なくされたものも多い。その一方で、中小規模ながら高品質の石炭を産出することで稼働を続ける炭田として、ベトナムのホンゲイ炭田のようなものも存在する。
日本

日本では現在、坑道掘りでは太平洋炭礦を引き継いだ釧路コールマインが存続している。露天掘りでは、砂子組が砂子炭坑三笠露天掘坑(三笠市奔別鳥居沢町)の他、三井系、三菱系がそれぞれ数社が採掘し北海道電力へ納入している。


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