炭坑節
[Wikipedia|▼Menu]
田川市の石炭記念公園内にある炭坑節発祥の地の碑

炭坑節(たんこうぶし)は、福岡県に伝わる民謡である。現在の田川市が発祥といわれる[1]

もともとは炭鉱労働者によって唄われた明治時代に派生した民謡『伊田場打選炭唄』が原曲[2]で、「月が出た出た月が出た、ヨイヨイ」の一節で知られる。もともとは盆踊り唄ではなかったものの、戦後全国的に流行してからは伝統的な盆口説などにとってかわって盆踊り唄として唄われるようになった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}また、この曲は、元々は春歌だったとも言われる。[要出典]
唄の種類
ゴットン節(チョンコ節)
先山と呼ばれた掘り手や、後山と呼ばれた運搬係が唄ったものであり、歌詞の内容は春歌、悪口、自嘲、恋愛など多岐にわたる。節回しは、全国的に流行したチョンコ節という春歌の変化したものである。
石刀唄
マイト方などと呼ばれた発破係が
ダイナマイトを仕掛ける際に、ノミで岩盤に穴を開けながら唄ったものである。
南蛮唄
坑内の水を汲み出す際に、南蛮という大きなロクロを何人かで押して回しながら唄ったものである。後に花柳界でも唄われ、三味線伴奏が付けられた。なお山口県宇部炭鉱でも「南蛮音頭」が唄われたが、それとは別の唄である。
選炭唄
運び出された石炭の中からボタと呼ばれる屑を取り除く際に、女性作業員によって唄われたものである。炭坑によって節回しが大きくことなっているほか、場打選炭、機械選炭など選炭の方法によっても節回しや速度が異なる。
座敷唄
選炭唄が、田川郡在住の小学校教師であった小野芳香により1910年明治43年)に編曲されたものである。田川のみならず小倉などの花柳界でも盛んに唄われた。その後、1932年昭和7年)に後藤寺検番の歌二・後藤寺芸妓連により「炭坑唄」のタイトルで初めてレコード化され、数年後に赤坂小梅のレコードも発売された。ただし、小梅のレコードの三味線伴奏は小倉の花柳界で付けられたものであり、田川のものとは異なる。
流行唄
後述
流行唄としての炭坑節.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "炭坑節" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年9月)
1950年テイチクレコードから発売された美ち奴「炭坑節」のSPレコード

戦前に座敷唄のレコードが発売されてから、東京方面で炭坑節が流行するようになり、節回しが変化して現在盆踊りでよく唄われる炭坑節になった。1948年(昭和23年)11月にはコロムビアレコード赤坂小梅ポリドールレコードで日本橋きみ栄テイチクレコード美ち奴キングレコード音丸が炭坑節をレコードに吹き込んだが、赤坂小梅のみが座敷唄の節回しであり、あとの3人は流行唄の節回しで唄っている。各社ともレコードは大ヒットし、当時の傾斜生産方式による石炭増産の風潮もあって知名度が高まった。炭労総評の基幹労組だった昭和30年代には、春闘で炭労幹部が団交のため上京して夜の銀座のバーに乗り込むとジャズやワルツの演奏を止めて炭坑節を演奏したという逸話がある。さらに炭坑節をもとにした「新炭坑節」「新々炭坑節」「月が出た出た」という歌謡曲も作られ、いずれも久保幸江霧島昇によって唄われヒットしている。

炭坑節が大流行する中で、一部の出版物や歌詞カードに誤記があったことから、福岡県大牟田市三井三池炭鉱1997年3月30日閉山)で生まれたという誤解が広がった。また、伊田町と後藤寺町との間でどちらの炭坑節が元祖かという論争も過熱した。この論争は、伊田が元祖だということで一応は決着がついている。歌詞中の煙突は現在も田川石炭記念公園に保存されている三井田川炭鉱の二本煙突の事と言われている。

全国各地の盆踊りでのスタンダードとなっているものは、鈴木正夫の歌ったものが各地の自治会の間などでのカセットテープによるダビングであるケースが多い。福岡県筑豊では、三橋美智也の歌うものが演奏され、夏祭りの最後を飾る。

またプロ野球の埼玉西武ライオンズは前身が福岡に本拠地を置く西鉄ライオンズだったため、現在でも炭坑節をチームが勝利した際に応援団が演奏する。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:27 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef