炎鵬友哉
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炎鵬 友哉

2018年 九州場所初日 十両土俵入り
基礎情報
四股名炎鵬 友哉
本名中村 友哉
愛称ユウヤ、ユウタン、ふんどし王子(高校時代)、ひねり王子(入門後)[1]令和牛若丸、リアル火ノ丸
生年月日 (1994-10-18) 1994年10月18日(29歳)
出身石川県金沢市
身長167.0cm
体重102.0kg
BMI36.6
所属部屋宮城野部屋伊勢ヶ濱部屋
得意技左四つ、下手投げ[1]
成績
現在の番付東序二段100枚目
最高位東前頭4枚目
生涯戦歴226勝221敗77休(43場所)
幕内戦歴61勝74敗(9場所)
優勝三段目優勝1回
序二段優勝1回
序ノ口優勝1回
技能賞1回
データ
初土俵2017年3月場所
入幕2019年5月場所
趣味寝ること[1]、自炊[2]
備考
2024年5月26日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

炎鵬 友哉(えんほう ゆうや、1994年10月18日 - )は、石川県金沢市出身で、伊勢ヶ濱部屋(入門時は宮城野部屋)所属の現役大相撲力士令和6年1月場所までの四股名は炎鵬 晃(えんほう あきら)。本名は中村 友哉(なかむら ゆうや)。身長167.0cm、体重102.0kg、血液型はAB型[3]。最高位は東前頭4枚目(2020年3月場所)[1]。目標とする力士は兄弟子の石浦。好きな色は緑色[1]
来歴

北國新聞社に勤務する父親を持つ。相撲を始めたのは5歳の時で、兄の影響によるものだった[4]。最初は「カッコ悪いと思っていた」「なんで人前でケツを出さないといけないんだ」と相撲を取ることに抵抗があった[5]がある日、体の大きい友達と相撲を取って小さな体で勝ったことから自信を付けて相撲にのめり込んだ[6]。小学生時代に舞の海の相撲を見て[注 1]「大きい相手にこんな勝ち方ができるんだって、自分もいつかこういう相撲を取りたいな」と思った[7]

金沢市立大徳小学校2年から6年まで水球のキーパーも行っていた[1]金沢市立西南部中学校時代は達綾哉(後の幕内・輝)と同期で、3年次には全国都道府県中学生相撲選手権大会で同じ石川県代表として団体優勝をした[8]。中学時代は厳しい稽古、洗濯、雑用をこなし、食事ちゃんこ3杯、米3杯を毎日食べさせられて体を作った[6]。中学卒業後は金沢学院附属高校に進み、3年次に世界ジュニア相撲選手権大会の軽量級で優勝した。同じく3年次に高等学校相撲金沢大会で個人3位に輝くも、当時軽量過ぎたが故に角界からの勧誘が来ることはなかった[7]

金沢学院大学人間健康学部に進学すると、1年次に西日本学生相撲新人選手権大会で優勝したことに始まり、2年次と3年次には世界相撲選手権大会の軽量級を2連覇するなど全部で10個のタイトルを獲得した[9]

就職活動中、応募先からも面接で角界入りを勧められており[10]、そのようなこともあってか大学卒業後は横綱白鵬の内弟子として宮城野部屋へ入門した[11]。入門の決め手となったのは白鵬からの「相撲は今しかできないぞ、人生かけてみろ」という言葉であった[7]。四股名の炎鵬は、「炎のような相撲を取れ」と白鵬が命名した[12]。角界入りした理由としては、他にやりたいことが見つからなかったという面もあった[6]。また「俺も石浦さんみたく強くなりたい」と石浦に憧れていたのも入門の理由であった。

初土俵となった2017年3月場所は、前相撲を取って一番出世とした。初土俵の同期に若隆景らがいる。5日目に新序出世披露を受ける時には、この日から白鵬が付ける予定だった化粧廻しを借り受けて使用した(白鵬は、この日から途中休場した。)[13]

初めて番付に載った5月場所は、7戦全勝で序ノ口優勝とした[14]。7月場所は序二段に上がり、また7戦全勝とし、優勝決定戦では幕内経験者の舛乃山を下手投げで下した。この場所から四股名の下の名前を本名の友哉から「晃」に変更した。当初は初土俵から名乗る予定であったが、手続きがうまく出来ていなかったため、この場所から改名した扱いになったものである。この名前は、道場の5年先輩で大相撲入門の9年前にオートバイ事故で死亡した道場時代に慕っていた人の名前を貰ったものである[15][16]三段目に上がった9月場所も7戦全勝で満津田との優勝決定戦を制して三段目優勝とした[17]

11月場所は西幕下14枚目に上がり、全勝なら関取昇進の可能性もある番付となったが1番目の相撲で三役経験者の常幸龍に敗れ、連勝も「21」でストップした。常幸龍は序ノ口デビューからの連勝記録「27」を持つ力士であり、記録保持者に更新を阻止される形となった[18]。2番目以降は立て直して、この場所は5勝2敗で勝ち越した。

翌2018年1月場所は東幕下6枚目の番付で4勝3敗。通常なら関取に昇進できる成績ではないが、十両からの陥落力士が多いという事情もあり、場所後の番付編成会議で炎鵬の3月場所での新十両昇進が決定した。幕下付出入門者を除けば、所要6場所での十両昇進は史上最速タイのスピード出世となった[19]。「上がりました」と十両昇進の知らせを聞いたとき、炎鵬は丁度風呂から上がる時であったので「風呂のことかと思った」という冗談が残っている[1]

新十両の場所は西十両14枚目の番付となり、十両の一番下の地位で3月場所に臨んだが十両の壁に跳ね返され、4勝11敗と大きく負け越した。幕下に落ちた5月場所からは2場所連続で5勝2敗と勝ち越し、7月場所後の番付編成会議で、9月場所での再十両昇進が決定した[20]。西十両13枚目で迎えた9月場所は9勝6敗の成績で関取として初の勝ち越しを決めた。2019年3月場所は自己最高体重の100kgで場所を迎えるなど好調が伝えられた[21]。その場所の9日目のコ勝龍戦は尻が土に10cmまで近付くピンチから蛙飛びのように体勢を整え、相手の左足を両腕で取って足取りで白星[22]。この場所は8勝7敗と勝ち越し、5月場所は新入幕を果たした。金沢市からの新入幕は出島武春以来22年ぶり。

5月場所4日目の大翔鵬戦では180kgの巨体を下手投げで転がして白星を奪い[23]、9日目終了時点で7勝2敗で勝ち越しに王手をかけたが、その後6連敗を喫し7勝8敗で負け越した。翌7月場所も10日目までに7勝目を挙げたが、給金相撲に3連敗。しかし、14日目に白星を挙げ、初土俵から自身10回目の給金相撲にして、幕内でようやく勝ち越した。体重100kg未満の力士が幕内で勝ち越したのは1997年9月場所の舞の海以来22年ぶり[24]千秋楽も勝って最終成績は9勝6敗とし、技能賞を獲得した。

9月場所は11日目に勝ち越し王手となったが12日目から2連敗。しかし14日目に白星を挙げて勝ち越し、千秋楽も勝って9勝6敗とした。NHK大相撲解説者の北の富士は「9番勝って前半戦を1人で盛り上げた。そういうのは星数じゃなくて、十分に敢闘賞に値する。普通のお相撲さんの11勝、12勝にも匹敵すると思う」と三賞を逃しながらも小さい体で場所を戦い抜いた炎鵬を称えた[25]


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