炎加世子
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ほのお かよこ
炎 加世子
本名三塚 賀世子 (みつづか かよこ)
奥津 賀世子 (おくつ かよこ・出生名)
生年月日 (1941-01-16)
1941年1月16日(83歳)
出生地 日本 東京市本所区両国
(現在の東京都墨田区両国)
職業女優
ジャンル軽演劇映画
活動期間1957年 - 1969年
配偶者三塚某
主な作品
太陽の墓場
『乾いた湖』
『悪人志願』
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炎 加世子(ほのお かよこ、1941年1月16日 - )は、日本の女優[1][2][3]。本名三塚 賀世子(みつづか かよこ)、出生名奥津 賀世子(おくつ かよこ)[2]松竹ヌーヴェルヴァーグの代表的女優として知られる[3]
人物・来歴

1941年(昭和16年)1月16日東京市本所区両国(現在の東京都墨田区両国)に生まれる[2]大妻高等学校在学中から劇団に所属、1959年(昭和34年)の卒業後は、浅草公園六区軽演劇に出演していた[3]。このころに自殺未遂を経験したとされる[4]

1960年(昭和35年)に松竹大船撮影所の社員監督大島渚にスカウトされ、同年8月9日に公開された映画『太陽の墓場』で、満19歳にして初主演・映画デビューを果たす、とされるが[3]、同年3月15日に東映が配給して公開された東映東京撮影所製作、小沢茂弘監督の映画『ずべ公天使』 に小さな役ですでに映画出演はしている[1][2]。以降、同年中に篠田正浩監督の『乾いた湖』、田村孟監督の『悪人志願』(主演)などの6作に出演、強烈な印象を残す[3]郷^治加山雄三松方弘樹江波杏子三上真一郎佐々木功橋幸夫森山加代子星由里子らとともに、新進女優として注目される[5][6]

1961年(昭和36年)いっぱいまでは松竹作品に出演を続けるが、1962年(昭和37年)からは、テレビドラマへの出演が中心になった[1][2]。1964年(昭和39年)5月、結婚・妊娠が報道された[7]。1969年のテレビドラマ出演を最後に活動を停止。現在は、関東に在住している。

2012年(平成24年)6月現在、炎の出演した劇場用映画は、『太陽の墓場』『乾いた湖』『悪人志願』(以上すべて1961年)『夕陽に赤い俺の顔』(1961年)『にっぽん昆虫記』(1963年)の5作の上映用プリントを、東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵している[1]。『太陽の墓場』は2008年(平成20年)8月27日にDVDが、『乾いた湖』『悪人志願』は、1998年(平成10年)6月21日にVHSセルビデオが、それぞれ松竹ホームビデオから、『にっぽん昆虫記』はDVDが2009年(平成21年)7月17日にハピネットから発売された。

娘が1985年の『にっかつ新人女優コンテスト』で優勝している[8]。親族では、姪が和楽器奏者として活動している。
フィルモグラフィ

すべて出演[1][2]
1960年


ずべ公天使』 : 監督小沢茂弘、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年3月15日公開(映倫番号11535) - 出演・「おすみ」役

太陽の墓場』 : 監督大島渚、製作松竹大船撮影所、配給松竹、1960年8月9日公開(映倫番号12022、NFC所蔵) - 出演・「花子」役(初主演)

『乾いた湖』 : 監督篠田正浩、製作松竹大船撮影所、配給松竹、1960年8月30日公開(映倫番号12071、NFC所蔵) - 出演・「北村節子」役

『最後の切札』 : 監督野村芳太郎、製作松竹大船撮影所、配給松竹、1960年9月20日公開(映倫番号11511) - 出演・「尾上マミ子」役


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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