炎の肖像
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炎の肖像
監督藤田敏八
加藤彰
脚本内田栄一
製作伊地智啓
製作総指揮五味春雄
出演者沢田研二
秋吉久美子
地井武男
大門正明
音楽井上堯之
大野克夫
撮影山崎善弘
編集井上治
製作会社日活
配給日活
公開 1974年12月28日
上映時間96分
製作国 日本
言語日本語
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『炎の肖像』(ほのおのしょうぞう)は、1974年製作の日本映画1960年代後半から1980年代前半にかけて絶大な人気を誇った"ジュリー"こと沢田研二の主演第1作となった映画である。監督は藤田敏八加藤彰

沢田は、ザ・タイガースのメンバーとして、「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」(1968年)など3作に主演しているが、ソロになってからは本作が初の主演映画である。

ジュリーの愛称で人気のあるロック歌手・鈴木二郎を主人公に、虚構と現実を混在させながら、自由とロマンを求める若者の孤独と苦悩を描いた青春ドラマ。
解説

1974年12月28日日活系で公開された。監督は、過去に日活で「非行少年 陽の出の叫び」(1967年)、「八月の濡れた砂」(1971年)、秋吉久美子主演三部作などを手がけた藤田敏八と、日活ロマンポルノの主力監督の一人であった加藤彰。脚本は後に「スローなブギにしてくれ」(1981年)、「水のないプール」(1982年)などを手がける内田栄一。本作の冒頭で沢田に対するインタビューが収録されているが、このインタビュアーを務めているのが内田。撮影はベテラン・山崎善弘が担当している。

沢田は、本作公開直前の1974年12月2日東京体育館で、「ヘイ!ジュリー ロックンロール・サーカス」と題したライヴを行っている。このライヴでの模様は、本作の後半部分で登場する。「ロックンロール・サーカス」とは、1968年12月BBCクリスマス特番としてローリング・ストーンズ主演でジョン・レノンエリック・クラプトンザ・フーといった超豪華な面々が出演したTV番組名で、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}出来に満足しなかったローリング・ストーンズのミック・ジャガーの反対により、放映されることなく[要出典]、1996年VHSでリリースされるまでお蔵入りとなっていた。沢田がローリング・ストーンズの熱心なファンであることからも、日本版「ロックンロール・サーカス」を目指したといわれている[要出典]。

ザ・タイガース時代はトップ・アイドルとして「星の王子様」的な存在だった沢田が、本作ではワイルドでダーティーな大人の男への脱皮を図っている。冒頭から、荒っぽい言葉を駆使しての喧嘩シーンや、人気アイドルとは思えないような過激なベッドシーンもあり、ザ・タイガース時代の主演映画とは完全に異なったキャラクターを演じている。そのあまりのギャップとストーリーの過激さから、当時、話題となった。本作は、当初のプレスシートのあらすじと、中盤以降全く異なる展開となっている。当初、沢田演じる鈴木二郎は、終盤で刺される設定となっていたが、本作ではそうしたシーンはなく、当初のエンディング・シーンとなっていた水に浮かぶ二郎も、本作では数秒のカット程度となっている。

主役の鈴木二郎は、ジュリーという愛称で人気のロック歌手であり、実在の沢田とオーバーラップする。意図的に虚実をないまぜにし、沢田のインタビューやライヴ・シーンを盛り込んだりする作風は時代を感じさせて面白い。


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