災害記念碑
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千葉県鎌ケ谷市関東大震災記念碑1933年(昭和8年)に建てられた大津波記念碑(岩手県宮古市)

自然災害伝承碑(しぜんさいがいでんしょうひ)は、地震津波洪水噴火といった大規模な自然災害の状況や教訓を後世に伝え残すために作られた災害碑、慰霊碑記念碑等のモニュメントである[1]

国土地理院では、2019年3月に自然災害伝承碑の地図記号を制定して、ウェブ版の「地理院地図」や紙版の2万5千分1地形図への掲載を進めており[2][3][4]、地理院地図には2024年4月25日時点で、47都道府県607市区町村2,111基の自然災害伝承碑が公開されている[1](詳細は#地図記号参照)。調査・登録が遅れていたり、地元でもあまり知られていなかったりする伝承碑も多く、日本全国の実数は数千基と推測されている[5]
概要

自然災害伝承碑には、過去に起きた津波や洪水等の自然災害について、災害の様子や被害の状況等が記されているとともに、被災現地に設置されていることが多く[6]、「身近な災害の歴史を学び、教訓を未来に伝える」という意義を有している[7]

しかし、時間の経過とともに忘却される例も多い。寺田寅彦によると、1896年明治29年)の明治三陸地震の記念碑は、昭和三陸地震のあった1933年昭和8年)には既に壊れていたり、新道の建設で道路が寂れるなどして忘れられたりした例があったという[8]
実例
津波災害

1933年(昭和8年)の昭和三陸地震の津波による被害を受けた三陸海岸地域では、地震学者の今村明恒の助言により、津波体験の風化を防ぐ啓蒙的手段の一つとして、津波記念碑が建設された。東京朝日新聞社を窓口とする指定義援金がその建設費用に充てられ、約200基の津波記念碑の多くがこうして建てられた[9]
大津浪記念碑(岩手県宮古市)詳細は「大津浪記念碑」を参照

大津浪記念碑(おおつなみきねんひ)は、1933年(昭和8年)の昭和三陸地震による津波の後に、岩手県宮古市重茂姉吉地区に建てられた碑である。標高約60メートル。

姉吉地区では、1896年(明治29年)の明治三陸地震による津波および前述の昭和三陸大津波で二度にわたって集落全滅に近い被害が生じた経験から、「此処より下に家を建てるな」という教訓の碑が建てられた。以後、住民は石碑の教えを守り、坂の上に住宅を建てて生活していた。2011年平成23年)の東日本大震災の際にも大規模な津波が発生したが、津波は石碑より海側で止まり、人的被害は集落外に出ていた4人の行方不明に留まった[10][11][12]
東日本大震災復興祈願碑(宮城県気仙沼市唐桑町)

東日本大震災復興祈願碑(ひがしにほんだいしんさいふっこうきがんひ)は、宮城県気仙沼市唐桑町早馬神社(はやまじんじゃ)にある東日本大震災からの復興を祈願する碑。石碑上部は波の形が施され、「大津波浸水高さここまで」と津波到達点が記されてあり、中央部には「大津波到達点 子々孫々語り継げ」と刻まれている。石碑は『震災伝承施設』に登録され、中学校1年理科の教科書にも掲載されている。[13]
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出典検索?: "自然災害伝承碑" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年7月)
東日本大震災記念碑(宮城県南三陸町)

東日本大震災記念碑(ひがしにほんだいしんさいきねんひ)は、宮城県南三陸町戸倉の五十鈴神社にある、東日本大震災による津波の災害を伝承する碑。標高23メートル。海から400メートル。

2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災による大津波の時、戸倉保育所・戸倉小学校の子供たち・教職員や、地域住民が避難して難を逃れた。津波の中、神社の境内だけがポッカリと島のように浮かび助かった。碑には次のように記されている。「未来の人々へ 地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」。
名取川昭和三陸津波碑(宮城県名取市閖上)

昭和三陸津波の碑(しょうわさんりくつなみのひ)は、1933年(昭和8年)3月3日の昭和三陸地震で発生した津波の災害を伝承する碑。

この津浪も東日本大震災の津波と同じく名取川を逆流した。宮城県の仙台市名取市を経て仙台湾にそそぐ名取川河畔に、その津波が到達したことを知らせる碑が立っている[14][15]
常福寺津波流失塔(三重県鳥羽市国崎町)

常福寺津波流失塔(じょうふくじつなみりゅうしつとう)は、三重県鳥羽市国崎町大津集落の常福寺境内にある、嘉永7年(1854年)の安政東海地震の津波(安政津波)の災害を伝承する石碑[16]

高さ七丈五尺(22.7メートル)の津波が襲来し、6人が死亡したと記されている[16][17][18]。安政津波の被害者が6名にとどまったのは、大津集落は室町時代後期の明応地震津波で壊滅的な被害を受け、住民が高台に移転していたためだという。この高台への集団移住は、国内最古の例とされる[19]
大地震両川口津浪記の碑(大阪市浪速区)詳細は「大地震両川口津浪記」を参照

大地震両川口津浪記は、大阪府大阪市浪速区大正橋東詰にある、安政南海地震による津波の災害を伝承する石碑。


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