灯油
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この項目では、灯火用の液体燃料及び石油製品の一種について説明しています。原油から直接得られる分留成分については「ケロシン」をご覧ください。
石油ファンヒーター日本製灯油ランプスイス製)

灯油(燈油、とうゆ)は、灯火用の液体燃料の総称。また、石油製品の一種。

灯油とは、元来はランプなど照明器具のための油の総称をいう。灯火用の液体燃料としては古来より胡麻油鯨油が用いられ、この意味では「灯油(ともしびあぶら)」とも読む[1]

やがて、従来の灯火用燃料の代替品として石油を精製した燃料が用いられるようになった[1]。灯油は石油分留成分の一つであるケロシン暖房やランプなどの日用品における燃料として利用するために調整した製品である[注 1]。「ケロシン」そのものを「灯油」と呼ぶことがあるが、ここでは主に石油製品としての灯油について述べる。
灯火用燃料の変遷

灯火用には、古来よりろうそくのほか、胡麻油鯨油などが用いられた[1]

日本で古来、神事等に使用されてきた灯油(ともしびあぶら)としては、魚油、榛油、椿油、胡麻油等が使用されてきたが、9世紀後半に離宮八幡宮宮司荏胡麻(エゴマ)の搾油機を考案してからは荏胡麻油がその主流となった(cf. 大山崎油座)。17世紀以降は荏胡麻油に替わって菜種油綿実油が灯油として主に用いられるようになった。

一方で、庶民が用いる灯油の主流は、永らく魚油であった。日本の民間伝承には、油赤子油すまし油坊化け猫、等々、灯油にまつわるものが数多くあるが、特に化け猫がそうであるように、油を舐めようとする逸話が多く見られる背景には、行灯用の灯油として安価な油などの魚油が用いられていた事実がある(背景として、当時のイエネコの餌は飼い主の残飯であったため、恒常的に脂肪、とりわけ動物性脂肪の摂取に飢えており、行灯の油を舐める行動がしばしば実際に見られたということもある)。

アメリカ合衆国では、1855年ネイティブアメリカンが薬用にしていた黒色の油を精製したところ、鯨油よりも照明に適していることが分かり、油田開発がスタートした[2]

原油が資源として重視されるようになったきっかけが、これである。また1858年にはルノアール・エンジンも発明され、需要が伸びるにつれ原油採掘の必要性が高まり、アメリカ合衆国のドレーク(en:Edwin Drake)は、ペンシルベニア州に初の油井を建造し、1859年8月には原油の採取に成功した。

日米貿易は、1854年の日米和親条約に始まるが、1879年には、アメリカ人で商船J. A.トムソンの船長チャールズ・ロジャースが、知人に頼まれ日本の物産を購入する際に、新たな市場としての日本へ貨物として、このときは精製した石油を届けている[3]
石油製品としての灯油
概要

灯油(ケロシン)は、原油常圧蒸留およびその後の精製によって得られる製品である。無色透明で特有の臭気を放つ液体で、炭素数9から15の炭化水素を主成分とする。灯油の引火点は37 ? 65 ℃の間であり、その自然発火温度は220 ℃であるため、引火点以下なら火花が入っても燃焼しない。燃焼熱量は軽油に似ていて、低位発熱量は43.5 MJ/kg[4](34.6 MJ/L[5])で高位発熱量は46.5 MJ/kg[4](36.9 MJ/L[5])である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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