火鳥こずえ
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かとり こずえ
火鳥 こずえ
本名不明
生年月日 (1943-01-29)
1943年1月29日(81歳)
出生地 日本 山形県
職業女優
ジャンル劇場用映画時代劇映画成人映画
活動期間1962年 - 1973年
事務所火石プロ
主な作品
『避妊革命(英語版)』(1967年)
『生首情痴事件』(1967年)
徳川女系図』(1968年)
『女浮世風呂』(1968年)
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火鳥 こずえ(かとり こずえ、1943年1月29日 - )は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]。火鳥 こづえという表記もみられる[9]。本名不明。1961年(昭和36年)、マキノ真三のもとに学び[2]、真三の事業破綻後はモデルとして活動する[11]。1965年(昭和40年)に女優に転身、映画出演を開始、黎明期の成人映画界のスター女優となる[1][2][3][5][6][9]。1973年(昭和48年)以降に引退した[2][3][5][6][7][8][9][10]足立正生監督の『避妊革命(英語版)』(1967年)[12]小川欽也監督の『生首情痴事件』(1967年)、石井輝男監督の『徳川女系図』(1968年)、井田探監督の『女浮世風呂』(1968年)等の出演で知られる[2][3]
人物・来歴
成人映画スターの時代

1943年(昭和18年)1月29日、山形県に生まれる[2][3][8]。本名は不明である[2][3][8]

1961年(昭和36年)3月、地元の高等学校を卒業して東京に移り、マキノ真三のマキノ芸術学院に学ぶ[2]渡辺護の回想によれば、同年にはマキノ真三による経営母体のマキノ映画が倒産しており、渡辺は同社所属の市川春代らを野村浩将らの東京文芸プロダクションに売り込んでいた時期であるという[13]。同社には、のちに火鳥の作品を多く監督した向井寛が助監督として在籍していた[13]。火鳥は、1962年(昭和37年)12月に発行された『100万人のよる』昭和37年12月号(季節風書店、1966年廃刊)の表紙に採用されており、「東映スタア」とキャプションがある(右画像)[11]。この時期に東映の作品に出演した記録は残っていない[2][3][5][6][7][8][9][10]。俳優の久保新二の回想によれば、当時、火鳥は、愛染恭子辰巳典子らとともに、杉並区高円寺に所在した火石プロ(代表・火石利男)に所属していたという[14]

1965年(昭和40年)10月に公開された『熱い樹液』(監督藤田潤八岡野進)が火鳥の映画界へのデビュー作である旨の記述が『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)にはあるが、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されている『くされ縁』(監督志賀隆、製作・配給日本シネマ)や『悦楽』(監督大島渚、配給松竹)の上映用プリントには火鳥の名がクレジットされており、同作のほうが先に公開(前者・1965年4月、後者・同年8月29日)されている[5]。いずれにしても火鳥は、満22歳のときに成人映画の女優として、映画界に登場した[2][3][5][6][9]

日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、川部修詩佐伯秀男とともに、火鳥の名を挙げている[1]。1967年(昭和42年)2月21日に公開された若松孝二企画・製作、足立正生監督による『避妊革命(英語版)』(製作若松プロダクション、配給日本シネマフイルム)では、「丸木戸定男」役の寺島幹夫を相手に「丸木戸満子」役で主演している[2][6][9][12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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