火縄銃
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火縄銃(江戸時代)種子島火縄銃(愛知万博ポルトガル館展示物)火縄銃(姫路城天守閣蔵)

火縄銃(ひなわじゅう、: Matchlock gun / Arquebus)は、初期の火器(火砲)の形態のひとつで、黒色火薬を使用し、前装式滑腔銃身マスケット銃のうち、マッチロック式(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。通常、日本では小型のものを鉄砲、大型のものを大筒と称する。

マッチロック式は、板ばね仕掛けに火の付いた火縄を挟んでおき、発射時に引き金を引くと仕掛けが作動して、火縄が発射薬に接して点火する構造である[1]

火縄銃は、15世紀前半にヨーロッパで発明され、特にドイツにおいて発展した[2][3]。最古の記録は1411年オーストリア写本「Codex Vindobona 3069」にZ字型のサーペンタインロック式が見られる[4]。また1430年代に描かれたサーペンタインの金具の図が残っている[5]

現代の日本では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するのにも登録が必要である。
概説火縄銃火縄銃火縄銃

それ以前の銃器は、火門(銃身に開けられた点火口)へ火種(火縄など)を手で押し付ける方式(タッチホール式)であった(の「突火槍」、の「手銃」、モンゴル帝国及びモンゴルに支配された現ロシア中近東の「マドファ」など)ことから、扱いが難しく命中精度も低かった。この欠点を補うため、ドイツで火縄をS字型金具(サーペンタイン)ではさんで操作するサーペンタインロック式が考案され、さらに銃床など構造面の整備が進み火縄銃が完成した。最初期の火縄銃はそれまでのタッチホール式の筒に単純なS字型金具をつけただけの原始的なものであった。しかし15世紀半ばにはシア・ロック式(sear lock)とスナッピング式が発明された。ヨーロッパではシア・ロック式が主流になり、日本にはスナッピング式が伝わりさらに独自に改良された。火縄銃の最古の分解図(1475年)はシア・ロック式のものである[5]

マッチロック式は命中精度と射程の向上など銃の性能を大きく向上させた。その一方で、火種・火縄を常に持ち歩く携帯性の悪さ、火縄が燃焼する臭いや光が敵にこちらの位置を教えてしまう、構造上再装填に時間のかかる先込め式しか利用できない、雨天に弱い等、改善すべき点はまだ多かった。ヨーロッパではこれらを緩和し命中精度と操作性を悪化させた、回転する鋼輪(ホイール)に黄鉄鉱片を擦り付けて着火する方式(鋼輪式ホイールロック式)や、燧石火打ち石:フリント)を鉄片にぶつけて着火する方式(フリントロック式)が開発された。

博物館などで目にすることができる日本の火縄銃と、現代のライフルなどを比較すると、グリップ付近の形状が大きく異なる。そのため、現代のいわゆるライフル銃のように台尻を肩に当てて、脇を締めて発射することはできず、を番えるように肘を外に張って射撃するスタイルで使用されていた。一方でヨーロッパの火縄銃は、クロスボウの影響を受けた肩当ストック型のものの方が多い。中近東や北アフリカなど他の地域においても肩当ストック型が主流で、短床型が普及したのは現在のインドネシアから日本にかけての東南アジア・東アジア地域であった。

明治神宮例祭奉納 森重流砲術(2012年11月2日撮影)

彦根城における、火縄銃釣瓶打の演武

火縄銃の威力

黒色火薬を使用し、滑腔銃身で製の丸玉を撃つ火縄銃は、ライフリングを持ち完全被甲弾を使用する近代的な小銃と比べると、長距離での弾道特性[注釈 1]、命中率、対物威力では不利な構造となる。

しかし、火縄銃は現代の小銃や散弾銃と比べると口径が大きいため弾丸が重く、滑腔銃身から発射される鉛の丸玉はソフトポイント弾に似た効果[注釈 2]を発揮するので、人や動物に対する殺傷力は高い。「火縄銃の殺傷力が低い」という誤解は、幕末期に施条式洋式銃を装備した洋式軍隊[注釈 3]の前に、火縄銃を装備した旧式部隊[注釈 4]が敗北し、兵制の洋式化が進んだことが民衆に強く印象づけられた経緯が影響していると考えられる。また、泰平の世となり実戦で具足が使われる機会がなくなった江戸時代には、具足職人が自らの作った具足を火縄銃で撃ち、防御力を誇示する「試し胴」と称する実演が各地で催され、「火縄銃を防いだ具足」が各地に文化財として遺されていることなども、この誤解への影響が大きいと言われる。

正規の薬量・弾頭重量を用いた火縄銃で、戦国期当時の一般的な足軽向けの具足を射撃した実験[6]では、直撃すれば厚い鋼板を用いた胴体正面部分でも簡単に撃ち抜くことができ、硬い鋼板に当たって砕けた鉛弾が内側で飛散して背中側の鋼板も貫いていることから、「たとえ完全装備の具足をまとっていたとしても、火縄銃がまともに胴体に命中すれば撃たれた兵はまず助からないであろう」と結論づけている。上述の「試し胴」で具足を貫通していない例については、「銃弾を防げる」という点を強調するために、火縄銃の構造[注釈 5]を利用して弾丸の重量や火薬量を減らしていたり、具足を木の枝などにつり下げた状態で撃ったために、銃弾を受け流す格好になったのが原因だと考えられている[誰?]。

1981年頃に行われた別冊Gun誌の実験では、三匁筒で重さ174グレインの弾丸を発射した場合、初速は330m/s程度、銃口エネルギーは現代の実包に換算すると.38ショートコルトと.38ロングコルトのほぼ中間である[7]。この実験では50m離れた厚さ3cmの合板を完全に貫通している。

また、19世紀初頭の国友筒で弾丸を米国の射撃場で何度か発射して弾速を計測したところ、1550フィート秒(毎秒472.44メートル)から1590フィート秒(毎秒484.632メートル)までで安定していた。この約480m/s程度という弾速は音速(約340m/s)の1.4倍である。使用した火縄銃は全長130センチ、銃身長100センチと日本の火縄銃としては標準的なサイズで、「二重ゼンマイからくり」という上等な機関部を備え、銃腔内の状態も最高であった[8]

歴史群像編集部および日本前装銃射撃連盟会長小野尾正治らによって2005年頃に行われた実験では、口径9mm、火薬量3グラムの火縄銃は距離50mで厚さ48mmのの合板に約36mm食い込み、背面に亀裂を生じさせた[9]。また厚さ1mmの鉄板を貫通した[9]。鉄板を2枚重ねにして2mmにしたものについては、貫通こそしなかったものの内部に鉄板がめくれ返ったことから、足軽の胴丸に命中した時には深刻な被害を与えたのではないかとしている[9]。さらに距離30mではいずれの標的も貫通している[9]

この実験では、火縄銃に対する盾としてよく用いられた青竹による竹束についても、直径4cm・長さ1m程度のものを31本束ね直径77cm、重量14.3kgとしたものに対して射撃実験を行っている[9]


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