この記事は英語版の対応するページ
を翻訳することにより充実させることができます。(2023年11月)翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。火の鳥
L'Oiseau de feu
火の鳥に扮したヴァレンチナ・ヴリノワ。1936年頃、バレエ・リュス・ド・モンテカルロの豪州公演にて。
フォーキン版
構成1幕2場
振付・台本M・フォーキン
作曲I・ストラヴィンスキー
美術A・ゴロヴィン
衣装A・ゴロヴィン
L・バクスト
初演1910年6月25日
パリ・オペラ座
初演バレエ団バレエ・リュス
主な初演者T・カルサヴィナ、M・フォーキン、V・フォーキナ、A・ブルガコフ
ポータル 舞台芸術
ポータル クラシック音楽
テンプレートを表示
『火の鳥』(ひのとり、仏: L'Oiseau de feu、露: Жар-птица)は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したロシアの民話に基づく1幕2場のバレエ音楽、およびそれに基づくバレエ作品。音楽はアンドレイ・リムスキー=コルサコフ(ニコライ・リムスキー=コルサコフの息子)に献呈された。
オリジナルのバレエ音楽と3種類の組曲があり、オーケストレーションが大幅に異なる。組曲版では一部曲名が異なる部分もある。 セルゲイ・ディアギレフは1910年のシーズン向けの新作として、この題材によるバレエの上演を思いついた。最初、ニコライ・チェレプニンが作曲を担当することになっていたが、不明な理由によって手を引いた。『魔法にかけられた王国』作品39(1912年出版)の一部に、この時にチェレプニンが作曲した音楽が含まれる[1]。ついで1909年9月にアナトーリ・リャードフに作曲を依頼したが、これはうまくいかなかった。リャードフの怠け癖によって作品が出来上がらなかったという逸話が有名だが、実際にリャードフがディアギレフの依頼を引き受けたという証拠は残っていない[2]。ディアギレフはほかにグラズノフや、ニコライ・ソコロフにも依頼したかしれない[3]。しかしいずれもうまくいかなかったので、1909年の公演で『レ・シルフィード』の編曲を依頼した若手作曲家のストラヴィンスキーに作曲を依頼し、ミハイル・フォーキンにストラヴィンスキーと相談しながら台本を作成するよう指示した。フォーキンは指示通りストラヴィンスキーと相談しつつ台本を仕上げた。ほどなく並行して作曲していたストラヴィンスキーも脱稿した。依頼を受けてから半年あまりであった。 初演は1910年6月25日にパリ・オペラ座にて、ガブリエル・ピエルネの指揮により行われた。 日本初演及び舞台上演は1954年に小牧正英率いる小牧バレエ団とノラ・ケイによる。全曲の演奏会初演は1971年に小澤征爾指揮の日本フィルハーモニー交響楽団。 フォーキンによる『火の鳥』の台本はロシアの2つの民話の組み合わせによる。ひとつは「イワン王子と火の鳥と灰色狼」で、ツァーリの庭に生える黄金のリンゴの木の実を食べに来る火の鳥をイワン王子が捕まえようとする冒険譚、もうひとつは「ひとりでに鳴るグースリ」で、不死身のカスチェイにさらわれた王女のもとを王子が訪れ、王女がカスチェイをだまして魂が卵の中にあることを聞き出す話である。本来は子供向けの話だが、大人の鑑賞にたえるように大幅に手が加えられている[4]。なお、ストラヴィンスキーの師であったニコライ・リムスキー=コルサコフも共通の題材による歌劇『不死身のカシチェイ』を書いている。 イワン王子は、火の鳥を追っているうちに夜になり、カスチェイの魔法の庭に迷いこむ。黄金のリンゴの木のところに火の鳥がいるのを王子は見つけて捕らえる。火の鳥が懇願するので解放するが、そのときに火の鳥の魔法の羽を手に入れる。次に王子は13人の乙女にあい、そのひとりと恋に落ちるが、彼女はカスチェイの魔法によって囚われの身となっていた王女(ツァレヴナ)だった。夜が明けるとともにカスチェイたちが戻ってきて、イワン王子はカスチェイの手下に捕らえられ、魔法で石に変えられようとする。絶体絶命の王子が魔法の羽を振ると、火の鳥が再び現れて、カスチェイの命が卵の中にあることを王子につげる。王子が卵を破壊したためにカスチェイは滅び、石にされた人々は元に戻り、王子と王女は結ばれる[5]。 1910年6月25日のパリ・オペラ座での初演時のスタッフと配役は以下のとおり[6]。 バレエ・リュスの元ダンサーだったアドルフ・ボルム
概要
あらすじ
初演
振付:ミハイル・フォーキン
美術:アレクサンドル・ゴロヴィン
衣装:アレクサンドル・ゴロヴィン、レオン・バクスト
火の鳥:タマーラ・カルサヴィナ
イワン王子(ツァレヴィチ):ミハイル・フォーキン
王女(ツァレヴナ):ヴェーラ・フォーキナ
カスチェイ:アレクセイ・ブルガコフ
その他の著名な上演