灘五郷
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灘五郷(なだごごう)は、兵庫県の灘一帯にある5つの酒造地の総称。西郷御影郷魚崎郷(以上神戸市)、西宮郷、今津郷(以上西宮市)を指す[1]。日本で日本酒生産量が最も多い地域であり[2]、国内生産量の約25%を占める(2020年代現在)[2][3][4]

冬季には六甲颪(おろし)が吹くことで寒造りに適した自然環境にあること[5]宮水と呼ばれるミネラルが豊富な上質の地下水が取れること[5]、そして製品の水上輸送に便利な港があったこと[5]、酒造原料に適した大粒品種の米の産地に近いこと[5]などから、江戸時代以降、日本酒の名産地として栄えた[5]。大手日本酒メーカーの多くが灘五郷を発祥地として本社を置くほか、中小の酒蔵も点在する。

「灘の酒」は灘五郷酒造組合の地域団体商標として登録されており、「灘五郷」は地理的表示 (GI) の対象となっている。
概要

日本を代表する酒どころの一つ。京都伏見広島西条とともに、「日本三大酒所」とされる[6]

「灘五郷」という名称は江戸時代後期に生まれているが、範囲については変遷があり、現代の「灘五郷」の枠組みは明治期以降のものである(→#「灘」の呼称と歴史)。2020年現在、灘五郷酒造組合には27社(清酒26社、みりん1社)が参画している[7][8]。公式サイトで紹介している灘五郷各地域の「酒蔵」は以下26社(みりん1社を含む)である[1][注釈 1](→#灘五郷と主要な蔵元)。カッコ内は代表的な酒の銘柄で社名と異なるもの。

今津郷兵庫県西宮市今津地区大関今津酒造(「扇正宗」)
西宮郷兵庫県西宮市浜脇・用海地区日本盛國産酒造(「灘自慢」)、木谷酒造(「喜一」)、本野田酒造(「金鷹」)、白鷹辰馬本家酒造(「白鹿」)、松竹梅酒造(「灘一」)、大澤本家酒造(「寳娘」)、北山酒造(「島美人」)、万代大澤醸造(「徳若」)
魚崎郷兵庫県神戸市東灘区魚崎本庄地区太田酒造(「千代田蔵」)、宝酒造(「松竹梅」)、浜福鶴銘醸櫻正宗
御影郷兵庫県神戸市東灘区御影住吉地区白鶴酒造菊正宗酒造剣菱酒造坊垣醸造(「戎面」)、神戸酒心館(「福寿」)、泉酒造(「仙介・琥泉」)、安福又四郎商店(「大黒正宗」)、高嶋酒類食品(「甲南漬」)
西郷兵庫県神戸市灘区新在家大石地区金盃酒造沢の鶴

「灘」の呼称と歴史
「灘」・「灘目」の呼称

灘(なだ)は、武庫川河口(西宮市)から生田川河口(神戸市)に至る[9][10]六甲山地大阪湾に挟まれた東西に長い平野部[5][11]を指す広域地名であった。古くは灘目(なだめ)とも呼ばれており、「なだ」(海の意)の辺りという意味の「なだべ(灘辺)」が変化して「なだめ(灘目)」になったとされている[12][13]。現代では行政的な広域地名としては使われない(一部が神戸市灘区東灘区となっている)が、酒造史の叙述で「灘地方」といった表現が使われる。

灘(灘目)という地域名称についても、それが指す範囲は時代によって変遷がある[12][5]。江戸時代には、.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}敏馬(みぬめ)あたり(敏馬神社付近)を境界として[13]菟原郡の沿岸部(現在の神戸市灘区・東灘区および芦屋市周辺)を「上灘」、八部郡の沿岸部(現在の神戸市中央区・兵庫区周辺)を「下灘」と言い、両者を総称して「灘目」と呼んだ[12]
中世の「灘五郷」

室町時代にも「灘五郷」という語が用いられているが、これは灘地域にあった荘園のうち、芦屋荘[注釈 2]・山路荘[注釈 3]・得井荘[注釈 4]・都賀荘[注釈 5]・葺屋荘[注釈 6]の5つの総称であり[13]、この時点では酒造業とは関係がない。この地域にはほかに本荘などの荘園もあったが、惣村が結成されており[18]:26、守護代に従おうとしなかったという[19]

永正8年(1511年)、細川高国の命により瓦林正頼鷹尾城(現在の芦屋市)を築いて地域に支配を及ぼそうとすると、灘五郷は長らく対立関係にあった本城(本庄)衆・西宮衆と同盟を組み対抗、鷹尾城を攻撃する状況が発生している(芦屋河原の合戦参照)[18]:26。
酒造地を指す呼称の変遷

灘地方の酒造地域の呼称灘目西宮今津
灘三郷(灘目三郷)下灘郷上灘郷(西宮郷)今津郷
近世灘五郷(1828年)下灘郷上灘西組上灘中組上灘東組(西宮郷)今津郷
近代灘五郷(1886年)×西郷御影郷魚崎郷西宮郷今津郷

江戸時代中期、先行していた伊丹や西宮に対して、新興の酒造地として灘目や今津が発展を始める。上方の酒造地である摂泉十二郷[注釈 7]のうち、都市部に発展した古くからの酒造業の盛んな地域(十二郷のうちの「旧九郷」とも呼ぶ)に対して、灘目や今津(武庫郡、現在の西宮市今津地区)は農村(在方)に酒造業が生まれた新しいグループであった。


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