せら あきら
瀬良 明
本名渡辺 章(わたなべ あきら)[1]
生年月日 (1912-10-14) 1912年10月14日
没年月日不詳年
出生地 日本・岡山県児島郡味野町[注釈 1][1]
職業俳優
ジャンル演劇、劇映画(時代劇・現代劇、トーキー)、テレビドラマ
活動期間1935年 - 1980年
配偶者葵令子
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瀬良 明(せら あきら[出典 1]、(1912年〈大正元年〉10月14日[出典 2] - 没年不詳)は、日本の俳優。岡山県[出典 2]@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}児島郡味野町[注釈 1][要出典]出身。本名は渡辺 章(わたなべ あきら)[1]。 広島県立福山誠之館中学[注釈 2]を経て大阪外国語学校スペイン語部を卒業[6]。 1935年(昭和10年)、大阪共同劇団の創立に参加し、久板栄二郎作『断層』や真船豊作『裸の町』などの舞台に出演。1939年(昭和14年)、今井正監督の『沼津兵学校』で映画初出演。劇団解散後の1941年(昭和16年)、大阪放送劇団創立に参加するが、翌1942年(昭和17年)に退団、上京して瑞穂劇団に参加し、終戦まで移動演劇を続けた[6]。 戦後、東宝の専属となり、黒澤明監督の『生きる』を始め多くの映画に出演。地味で渋いタイプを身上に気の弱い万年ヒラ社員といった役どころを中心に活躍した[6]。後にフリーとなり、1960年代以降はテレビドラマにも活躍の場を広げた。1980年(昭和55年)以降の消息は不明。 妻は元女優の葵令子で、築地座を経て松竹下加茂撮影所に入社し、衣笠貞之助監督の『雪之丞変化』などに出演した人物である。二人の間に一女をもうけている[6]。
来歴・人物
出演作品
映画
宮本武蔵(日活) - 研師耕介
草分の人々・栄達の門(1940年)
剣心一路(1940年)
鶴と子供たち(1948年、東宝教育) - 郵便屋
ジャコ万と鉄(1949年、東宝) - 漁夫
りんご園物語(1950年、東宝教育)
女の四季(1950年、東宝)
暴力の街(1950年) - 小山
あなたは守られている(1951年、東京発声) - 人権擁護委員
港へ来た男(1952年、東宝)
生きる(1952年、東宝) - 市役所職員
坊つちやん(1953年、東宝) - うらなり
天晴れ一番手柄 青春銭形平次(1953年、東宝) - ある店の主人
続思春期(1953年、東宝) - 善助の父
青色革命(1953年、東宝) - 世話人
太平洋の鷲(1953年、東宝) - 労働者甲[7]
プーサン(1953年、東宝) - 店主[注釈 3]
愛人(1953年、東宝) - ホールの客
ゴジラシリーズ(東宝)
ゴジラ(1954年) - 国会議員[3][5][注釈 3]
ゴジラの逆襲(1955年) - 海洋漁業社員[8][注釈 3]
透明人間(1954年、東宝) - 焼鳥屋台の親爺[9]
芸者小夏(1954年、東宝) - お米の情人
宮本武蔵(1954年、東宝) - 村人
浮雲(1955年、東宝) - 太田金作
獣人雪男(1955年、東宝) - 松井[7]