瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979年8月21日)は、日本の児童文学作家・翻訳家・児童文学研究者。 東京市本郷区(現:東京都文京区)湯島切通坂町にて父・瀬田金之助と母・余寧の息子として生まれる。1939年、俳人中村草田男に師事。本郷尋常小学校、開成中学校、東京高等学校を経て、1941年、東京帝国大学国文科卒業。同1941年、東京府立第三中学校(のちの、都立両国高校)の夜間部の教諭となる[1]。 1942年、千葉県立国府台陸軍病院の衛生兵となる[2]。1945年の終戦後、東京府立第三中学校に復職し、同年の秋、結婚[2]。 戦後、東京府立第三中学校夜間部教師のかたわら、余寧金之助の筆名で児童文学作品を雑誌に寄稿。1947年、東京府立第三中学校を退職[2]。1949年、平凡社に入社し『児童百科事典』全24巻の企画編集に携わり、1956年完成。 1957年に平凡社を退職し[1]、以降、児童文学の分野で翻訳・評論・創作などを手がけ、業績を残した。 J・R・R・トールキン『指輪物語』の翻訳が有名である。その他、日本の民話の再話もあり、『かさじぞう』『ふるやのもり』などはロングセラーである。 1957年、「なんきょくへいったしろ」(こどものとも1956年8月号 福音館書店)で産経児童出版文化賞を受賞、ついで1963年「あふりかのたいこ」で、1966年「ホビットの冒険」の訳で、1967年「ナルニア国ものがたり」の訳で同賞受賞[3]。1975年、『指輪物語』の翻訳等で日本翻訳文化賞、1977年、児童福祉文化賞奨励賞受賞、1979年、『きょうはなんのひ?』で絵本にっぽん賞、1982年、『落穂ひろい』で日本児童文学学会賞、日本児童文学者協会賞特別賞、毎日出版文化賞特別賞受賞。 1946年から[2]中村草田男主宰「萬緑」の初代編集長となり、俳句も作った[4]。児童文学やファンタジーに題をとった句も多い。 1958年に家庭文庫「かつら文庫」をはじめた石井桃子の声掛けで、かつら文庫の翌年の1959年に自宅に瀬田文庫を開き、10年以上、死の直前まで毎週土曜日の午後に自宅を開放していた[5]。 1979年8月21日午前2時、肝硬変により大宮日赤病院にて急逝。63歳没。通夜・葬儀は浦和の自宅で行われた。
来歴・人物
作品
『あふりかのたいこ』(福音館書店) 1962
『かさじぞう』(福音館書店) 1966
『ねずみじょうど』(福音館書店) 1967