瀬戸市立図書館
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瀬戸市立図書館【全体用】
Seto City Library

施設情報
事業主体瀬戸市
管理運営一部業務委託
開館1945年7月1日
所在地489-0069
愛知県瀬戸市東松山町1-2
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度13分38.9秒 東経137度4分55.9秒 / 北緯35.227472度 東経137.082194度 / 35.227472; 137.082194座標: 北緯35度13分38.9秒 東経137度4分55.9秒 / 北緯35.227472度 東経137.082194度 / 35.227472; 137.082194
ISILJP-1001940
条例瀬戸市立図書館条例
公式サイト ⇒瀬戸市立図書館
地図

プロジェクト:GLAM - プロジェクト:図書館
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瀬戸市立図書館(せとしりつとしょかん)は、愛知県瀬戸市公共図書館。東松山町にある本館のほかに、分室としてパルティせとに情報ライブラリーがある。1970年に建設された現行館は老朽化が進んでおり、2016年には施設改修や移転も視野に入れた整備基本構想が策定された[1]
歴史
開館前瀬戸市内の路地瀬戸市内の登り窯

瀬戸焼が生まれた瀬戸は古くから「焼き物の町」として栄え、「瀬戸物」は陶磁器の総称として一般名詞化した。瀬戸は「尾張の小江戸」とも呼ばれる職人の町だった[2]第一次世界大戦時にはアメリカ合衆国中国への輸出で活況を呈し、1929年(昭和4年)には愛知県で5番目に市制を施行して瀬戸市が誕生した[2]。市と名のつく瀬戸に図書館一つないなんて、凡そ、嘘のような気がするが、残念乍ら、今までなかったのである。
瀬戸市に図書館がないなどといふことは恥ずかしいことである。 ? 図書館設置運動を牽引した『陶都新聞』の記事、開館3年半前の1942年2月22日[3]

1940年代前半の愛知県においては、名古屋市名古屋市図書館)、豊橋市豊橋市図書館)、岡崎市岡崎市立図書館)、半田市半田市立図書館・半田市立亀崎図書館)、一宮市一宮市立図書館)などの各市に加えて、海部郡津島町津島町立図書館)、南設楽郡新城町新城図書館)、碧海郡刈谷町刈谷町立刈谷図書館)、碧海郡新川町新川町立新川文庫)、知多郡阿久比村阿久比村立図書館)、知多郡横須賀町横須賀町立図書館)、知多郡大高町大高町立図書館)、などの各町にも図書館が設置されていた[3][4]。ローカル紙である陶都新聞は図書館設置に向けた運動を展開し、市民に対して図書の寄贈を呼び掛けた[4]。戦中には瀬戸市出身の前線の兵士からも、図書や寄付金が寄せられたという[4]

1941年(昭和16年)には瀬戸図書館開設準備委員会が発足しているが、市民生活が厳しさを増した1942年(昭和17年)後半には図書館設置運動が陰りを見せた[3]。1943年(昭和18年)には市民からの募金のみで準備費用を賄っていたが、瀬戸市は1944年(昭和19年)に初めて図書館予算を計上し[4]司書を採用して開館準備にあたらせた[3]。戦時中ということもあって新刊はほとんど出版されておらず、古本を買い集めて蔵書を揃えている[5]。1944年から1945年(昭和20年)には瀬戸市街地も空襲に遭い、集めていた図書の一部が共存園北分室に疎開したと伝えられる[6]
蔵所町時代(1945-1952)図書館が入っていた陶磁器陳列館

瀬戸川に架かる蔵所橋の正面、陶磁器陳列館として使用していた建物の2階東側半分(23.75坪)を図書館に転用[5]。陶磁器陳列館は1914年(大正3年)竣工の木造2階建洋館だった[6]。記録上の開館日は1945年7月1日であるが、愛知県知事から図書館設置の認可が下りたのは8月7日であり、瀬戸市が受理したのは8月12日である[7]。受理からわずか3日後の8月15日には終戦を迎えた。1945年度の予算には館長・司書・事務・用務員それぞれ1人の給料が含まれているが、実際に採用されていた職員の人数は定かでない[6]。記録上の開館日である7月1日時点の蔵書数は2,412冊だった[6]。愛知県の市部では7番目の開館である[5]。開館時の瀬戸市にあった文化教育施設は瀬戸市公会堂と瀬戸市陶磁器陳列館のみだった[5]。元館長の佐橋兼夫は「軍国主義一色の中で、平和な文化施設の図書館が生まれたのは、全国でもまれなケース」と述べている[4]

1945年の開館当時、館外貸出には5銭を支払う必要があり、さらに保証金10円を預ける必要があった[8]。物価の高騰によって1946年(昭和21年)7月17日には値上げされ、館外貸出料は10銭、保証金は20円となった[8]。とはいえ、実際には館長裁量で館外貸出料が無料となっていたともいわれる[8]。1946年前半の利用者数は約300人/月だったが、1946年後半には600人弱/月に増加した[8]。利用者の内訳は学生が39%、児童を含む無職が27%、会社員が12.5%、官公吏が10.2%、工員が7%、教員が2%、農業が1%などだった[8]

1948年(昭和23年)には陶磁器陳列館の西隣にある参考館(瀬戸市役所西分所)の1階東側(25坪)に移転した[9]。1950年(昭和25年)に図書館法が公布されると、同年12月には瀬戸市立図書館設置条例が改訂され、1951年(昭和26年)7月に利用規約が改訂された[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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