瀧原宮
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瀧原宮

左が瀧原竝宮・右が瀧原宮
所在地 三重県度会郡
大紀町滝原872
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度21分58秒 東経136度25分33秒 / 北緯34.36611度 東経136.42583度 / 34.36611; 136.42583座標: 北緯34度21分58秒 東経136度25分33秒 / 北緯34.36611度 東経136.42583度 / 34.36611; 136.42583
主祭神天照大御神御魂
社格式内社(大)
皇大神宮別宮
創建804年以前
本殿の様式神明造
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}瀧原宮
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瀧原宮(たきはらのみや)は、三重県度会郡大紀町滝原にある神社であり[1]内宮(皇大神宮)の別宮である[2][3]。祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)[2][4]。「滝原宮」と表記されることがある[3][5]

対となる別宮である瀧原竝宮(たきはらならびのみや)が並立されている。
概要参道口の鳥居瀧原宮付近の航空写真。神域の樹木は巨木が多く樹冠半径が大きいため、周辺の民有林との境界がわかりやすい。1975年度撮影国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

瀧原宮と瀧原竝宮は、伊勢神宮のある伊勢市の西部を流れる宮川の河口から約40km上流の、宮川支流大内山川が流れる度会郡大紀町旧大宮町)滝原にある[3]。宮域には瀧原宮と瀧原竝宮の2つの別宮のほか[2][6]、瀧原宮所管社の3社(若宮神社、長由介神社、川島神社)がある[7][8]。瀧原宮の宮域は、約44haと広大である[3][9]。山を背後に南面し、前方には川が東から西へ流れる地勢から内宮の雛型になったとする説がある[3]。内宮と荒祭宮の関係である[2]。すなわち瀧原宮は天照皇大御神の和魂(にぎみたま)、瀧原竝宮は天照皇大御神の荒魂(あらみたま)を祀るとされる[10]

所管社の若宮(わかみや)神社には神体を入れる『御船代』を納める御船倉(みふなぐら)が併設されているが、御船倉を持つ別宮は瀧原宮のみである[6]
歴史

瀧原宮の、正確な起源はわからない。本宮は、倭姫命が内宮よりも先に天照大御神を祀った場所という伝承がある[11]。『倭姫命世記』によると、第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、宮川下流の磯宮(いそのみや)より天照坐皇大御神(天照大神)を祀る地を探すために上流へ遡ったところ、宮川支流『大内山川』の流域に「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので、草木を刈り新宮を建てた[9][12]。だが天照皇大神の神意により、現在の内宮のある伊勢市宇治館町に新宮(五十鈴宮)を建てたため、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)を祀る別宮となったとされる[9][6]。神宮ではこの説を採る。

なお天照大神を過去に祀っていた場所を元伊勢と呼ぶが、別宮とされたのは瀧原宮だけである。別宮とされた理由は不明であるが、ヤマト王権が勢力を南下させるにあたり重視した説などがある。

804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』及び927年(延長5年)の『延喜太神宮式』には、天照大神の遙宮(とおのみや)と記述されており、それ以前からあったと考えられている[6]。皇太神宮儀式帳では瀧原宮1院1号で、延喜太神宮式では別号とされているため、創建当初は瀧原竝宮は瀧原宮に含まれ、804年から927年の間に独立したと考えられている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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