中華人民共和国 遼寧省 瀋陽市
渾河と瀋陽のスカイライン渾河と瀋陽のスカイライン
略称:瀋
旧称:奉天(フォンティエン)、盛京(ムクデン)
遼寧省中の瀋陽市の位置遼寧省中の瀋陽市の位置
中心座標 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度47分44秒 東経123度26分53秒 / 北緯41.79556度 東経123.44806度 / 41.79556; 123.44806
瀋陽市(しんよう-し/シェンヤン-し、中国語:沈?市、英語:Shenyang、満洲語:simiyan hoton、?en yang hecen[1]、mukden hoton)は、中華人民共和国遼寧省の省都。前名は奉天市。欧米諸語では、ムクデン (mukden) の名もよく用いられる。市名は、「瀋水ノ陽」の意味で、市内の南部を流れる渾河の古名・瀋水の北に位置することから由来する。
瀋陽市の常在人口は825万人(その中、都市部人口625万人)、従来より東北地方の最大規模の都市であり、東北地方の経済・文化・交通および商業の中心地である。北京から東北3省、朝鮮半島へ繋ぐ枢要地を占めるため、高速道路、高速鉄道・鉄道在来線が放射線状で密集しており、東北地方の最大級の鉄道と空路の運輸能力を持つ。瀋陽を中心に、周辺の鞍山、撫順、営口、鉄領などの衛星都市と瀋陽経済区を形成している。「一朝発祥の地、二代帝王の城」のように言われ、清の時代を中心とした遺跡が多数残っている。国家歴史文化名城に指定される観光都市である。 瀋陽の歴史は大変古く、7200年前には定住集落(新楽遺跡)があったことが知られている。その後はしばらく地域の重要地方都市的な位置にあった。 遼代は瀋州 17世紀初、サルフの戦いに勝利した満洲族のヌルハチは後金を建国、瀋陽を都城と定め、1634年(天聡8年)には盛京(せいけい[2][3]又はせいきょう[4]、満洲語:mukden hoton、ムクデン・ホトン)と改称された。その後清と国号を改めた後金は1644年(順治元年)に明朝の滅亡後の全部の中国を支配し、北京に遷都するが、盛京はその後も副都とされた。1657年には奉天府 (abkai aliyangga fu) が設置され、形式的ながら中央政府に準拠した官制が整備され、現在でもホンタイジ時代に主要部分が建設された瀋陽故宮が残っている。1664年(康熙3年)には承徳県 (erdemu be aliha hiya) が新設され、奉天府の府治とされた。 1740年から漢民族の移動が認められなかった満洲が、19世紀後半以降、ロシア帝国の南下政策に対抗すべく、禁地政策が解禁され開発が急速に推進されると、瀋陽は地域の中心としての役割を担うようになった。1903年には東清鉄道南満洲支線が完成してロシア帝国の勢力下に入り、日露戦争中の1905年、奉天会戦の舞台となる。
歴史
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清朝